電車が参る

 |こんど| 取 手 |
 |つ ぎ| 綾 瀬 |

 以前、関東の鉄道では行先案内表示に「こんど」「つぎ」と掲げる駅があった。紛らわしいとのことで今では「先発」「次発」に改められた。
その機械も今は随分と多機能になった。単に行先を出すだけでなく予定発車時刻や臨時ダイヤ情報も出してくれる。
 表示内容は、ひとつの鉄道会社の中でも路線ごとに特徴があるようだ。東京メトロの場合、東西線は次発の欄はマナー啓発ばかり流していている。「こんど」来る各駅停車が途中駅で「つぎ」来る電車の通過待ちをするのかどうか知りたくて待っていてもなかなか次発の案内を見せてくれない。
 今日は半蔵門線の表示機を見ていた。すると「東京メトロの車輌です」と出た。どこの会社が所有する電車かは、目当ての電車を撮ろうとしてホームで三脚立てて構えている人以外には関係ないだろうと思っていたら表示が変わってこんな点滅表示が出た。

電車がまいります

少なくても書き言葉では、人以外の名詞に謙譲語は使わない。機能を多くして情報だけでなく恥まで垂れ流すのはやめた方がいいと思う。
 すぐ近くには、「列車接近表示器」がある。その表示は

◎電車がきます

これが正解だろう。機能がかぶっているからといって、今後、正しい方を撤去しないでほしい。
 Googleで検索したところ、駅の放送で「まいります」は少なくないようだ。わたしは話し言葉までは目くじらを立てないが、聞き慣れてしまっただけで、「来ます」が悪いわけではない。やや古いが、フジテレビのコマーシャルだって「キダムがまいります」とは言わない。「モーニング娘。は敬語を使わない」と主張する人は差別である。
 受験勉強かマナー読本しか知らない人にとっては、「参る」は「来る」の謙譲語となっているだろうが、参るという言葉は「人間が相手の前で敬意や誠意を示す」動作に主眼が置かれている。そのためには通常は自分の足で相手の前まで近づく必要があり、来るという意味がたまたま添えられることが多かったにすぎない。昔に電話があれば、「参る」が来るという意味を持つことはなかっただろう。だから「私は神社にお参りする」という用法の場合は、無理して「来る」と解釈する必要はなくて、「私が行く」と理解することがあってもいいのである。小学生や外国人に聞かれたら答えられるようにしたい。
 誠意を示すというところから「降参する」という意味にも転化したように、言葉は時代を経て変わるものだ、現代では非生物主語でも参るを使うのだ、と言われれば納得するしかない。それでも表示を見るたびに「電車が直接あなたに敬意を示します。我が社の電車はかしこいのでぜひ見ていってください」と言われているようでおかしくなってしまう。

 敬語の誤用についてはまた改めてふれる。