ウィズコロナ

元に戻さないの?

個人批判が目的ではないので、ここではネットで見かけた「有識者」としておきますが、その方が

ウィズコロナは元に戻すことではない

と書いていました。驚きました。

コロナ禍前も「ウィズもろもろウイルス」で、そこに旧型コロナも入っていたことは小学校以上で理科を習っている世界中の人々が知っているわけですね。今でも手やスマホには雑菌ウィルスだらけですって石鹸の広告でやっています。
ただ、ウィズコロナ、という呼び方自体はありませんでした。当たり前だからです。あと、ウィズSARS、ウィズHIVに相当する主張をする人はいませんでした。なんでも大丈夫とは誰も思っていないのです。
2022年になって、自粛派ワクチン派マスク信者も、ようやくウィズコロナという言い方をするようにはなってきました。ただ、それはニューノーマルでしょ、って勝手に定義が変わっているわけです。

これまでも旧型コロナとともに生きてきました。Covid-19もウィズコロナだと思ったのであれば、ウィズもろもろウィルスの「もろもろ」のリストの中にCovid-19もオミクロンも加わったのではないですかね。わたしの中では武漢熱も加わっていますが、最近ウィズコロナだと思ったのであれば少なくても弱毒化したオミクロンはもろもろリストに追加していいんじゃないですかね。
ところがまだ「マスクだ、アルコール消毒だ」とかおっしゃいます。
相変わらず逃げ回っています。
口元の肌荒れ推奨とか、水洗手洗いばっちりでもアルコール強要とか、感染増強策まで織り込み済。それは別の病気になることでコロナを忘れましょうという、コロナパッシングであって、共存ではありません。

人類の限界

人間は津波や台風を無力化したりすることはできない。雷は受け止めることはできるけれど発生したものを検知することしかできない。そういう無力な存在である。ただ、予想はできる。雨なら降らせる技術もある。次第にできることは増えるのだろうか。
ただ、ウィルスの発生場所、量、次の伝搬先については、このコロナ禍でも相変わらず「可能性がある」「可能性がある」の連呼である。可能性なんていったら、あしたは晴れかもしれないし曇りかもしれないし雨かもしれないし、可能性があると言えばすむのと同じでわたしに予想させてほしい。蔓延しない可能性があると言ったらたぶん怒られるのだろうな。つまり、可能性があると言ってほしいのである。
遥か彼方の宇宙から届く電波は観測できるが、地表のウイルスの流れや蔓延の様子はいまだ測定できないのである。感染メカニズムでさえ、体内での侵入のメカニズムはそろそろ決着がつきつつあるようだが、空気感染なのかエアロゾルなのか接触なのか糞口なのかはいわゆる専門家たちが好き勝手なことを言い続けていて、ちゃんと総括していないように見える。
空間除菌メーカーが、空間ウィルス除去をやればいいとも言っていたが、いわゆる専門家たちはとりあえず全否定。確かにまだ研究は必要そうではあるが、基礎研究として続ける価値はないのだろうか。ワクチンと似たり寄ったりだと思うんだけどな。医療業界に関係ないことを勝手にやるなと言っているだけのような気がする。
ところが、どうやって目鼻口に届くか、いつ届くかわからないものに対して「対策」とか言っちゃうわけである。敵の姿はとらえられないが、対策すればみんなが助かるとか言っちゃうわけである。

なお根強い抵抗

ウィズコロナはニューノーマルだと言ってしまう方々は、潔癖症を「進化」と考えています。
潔癖「症」はその名の通り、精神面が独特の状態*1なのだと思うのですが、これを進化とみなしています。
自分の車に土足で乗った人に怒鳴りつけるという行為を聞いても「まあ、そうだよね」ということにしたいわけです。
潔癖症にはいろいろな背景があると思われます。
他人のぬくもりが嫌だ、掃除が嫌だ、病気が怖い、きれいなものが見たい、けがれたくない(汚したくない)、といったものです。
それをなぜか社会規範に応用してしまうのですよね。
「ウィルスの蔓延を防がなければならない、だからウィズコロナでも日本ではマスクは続けるのである。
理由があるから、こっちの勝ち、反ワクチン反マスクが何を言おうが無駄、以上」といった感じでしょうか。

問題点が2つあります。
1.前述したとおり、コントロールできないという問いかけに何一つ答えていないことです。理由があれば何でもするというのであれば、村の生贄、竹槍で鬼畜米英を突き落とす、そして神風特攻隊も何でも手段として肯定されるということになってしまうのです。日照りのために差し出された生娘も、特攻隊員も、効果がないことに命を落とされました。効果があるならやるけれど、原因をコントロールするところまで達していないと言っているわけです。*2
2.かつてのスペイン風邪などでもマスクは流行したようですが、今日のようにウィルス学が進歩した現代でもまた同じことをするということであれば、次にもう一段ウィルスが強化された日が来たときにさらにもう一段潔癖側に向かって階段を上るということです。そして、一段、また一段と上って行ったらどうなるでしょうか。
・一生ロックダウン
・生まれたら脳細胞をコンピューターに移殖、体は牢獄に隔離保存
アバターが社会を動き回り、マッチングしたら、牢獄に問い合わせて体液を取り寄せ、試験管配合して子供を作る
未来は、こちらの方向に行くしかないじゃないですか。ぬくもり、ふれあいというのは野蛮な動物が行うことです。さみしければかつて2020年代に始まったメタバースの中にはペットがたくさん住んでいますよ~っていうことになります。
なぜこれが進化なのかわからないのです。
私は自給自足はしないので、すでに動物らしさがないと言われればそうかもしれません。ただ、コミュニケーションについては情報化社会を迎えてもより深めていく方向だったと思っていました。ただ、それを行き過ぎと思ったのかは知りませんが、口元隠しましょう、会うのはやめましょう、死に目にも会えません、黙って食べましょうなどなど、急にコミュニケーションを破壊する方向に進んでいます。

違います。元に戻すのです。

よいニューノーマルは残そう

リモート会議で満員電車が回避できる、具合が悪かったら休める、といったいいところは残したいです。ただ、出勤強要がなくなっている点については、人を回復させるのではなくてけがれを排除しているところが気になります。

*1:多様性の時代なので異常という表現はふさわしくないと思います

*2:生贄の類は残された人の心には残りました。だから無駄だとか、意味がないというのとは違います

そろりそろりと

航空会社の場合

マスク信仰の総本山の一つ、航空会社の対応が徐々に軟化している。
ある航空会社を例にとると、
1.飲み物を配るときの客室乗務員は、フェースシールド、ビニール手袋の重装備をするのを若干緩和したようだ。緊急事態宣言ではないからか? 乗客をバイ菌扱いするのはやめたらしい。
2.並ぶときに間隔を空けてくださいというお願いも、貼り紙やステッカーだけになっている。
3.降機の際に、ベルトを外して立ち上がるタイミングをグループ制にしていたのをこっそりやめている。ベルト装着サインが消えたとたんにドアの前に早く降りたい人がなだれ込む光景が復活している。
ある日、こっそりマスクもやめる予定なのかもしれないが、今まで当社(業界)のわがままでご不便をかけて申し訳ございませんでしたくらいは言ってほしいね。
定期航空協会は、厚生労働省のガイドに従うと言っているので、厚生労働省のガイドは「黙っていればマスク不要」が最新である。ところが「ご協力ください」と言っているのは「私たちが苦情を受けちゃうんですよ。洗脳された人に言い返せないのでお願いだから我慢してほしいんですぅ」というわがままでしかない。感染予防やら蔓延防止は忘れ去られてしまっている。

集客施設の場合

現在は9月の下旬であるが、第7波が落ち着いた後「蔓延防止対策をやっています」「マスクをお願いします」という貼り紙がやや減ったような気がする。
第7波が完全に収束する前に第8波が始まったような気がするが、これから冬に向けてどうするのか見守りたい。

空港バスがWeb予約へ

さりげなく宣伝していた

 成田空港から上京しようとしたらきっぷの裏にQRコードが書いてあった。

 アクセスしてみると、羽田発着、成田発着で首都圏各地を結ぶリムジンバスがスマートフォン予約に対応しているではないか。

 会員予約しなくても買えるようだが、個人情報の入力が億劫なので、ヘビーユーザーが会員登録して使うのが現実的だと思う。

 空港バスに限らず、高速バスはコードシェア便が広まっている。このような新サービスをやるときには障害になる。バスは単独運行の方が利用者にとっては便利だと思う。

 例えば羽田では東京モノレールだけはJR東日本系列がやっている。一方、私鉄の京急は4社と相互直通運転をしていて、どの会社の電車が次やってくるのか素人にはさっぱりわからない状態ではあるが、何色の電車が来ようが京急線内は京急として営業している。利用者に関係あるのはバリアフリー設備の有無や位置の差くらいである。

 タクシーも会社指定でタクシー乗り場から乗るのはまだまだ珍しい。

 そしてバスは、コードシェアリングが多く、便によって運営会社が異なる。幹事社がリムジンバスと京急バスであり、これらが切符の販売や乗り場の整理を担っているがバスのサービスは合わせようという気がない。

 以前はトイレの有無、ICカード利用可否、充電ボートの有無がばらばらなだけでなく、それらを調べる方法まで限られていた。そして予約システムは最も貧弱な会社に合わせるということになっている。

 ただ、到着ロビーとバス乗り場でリムジンバスが取り仕切っているところは合わせられるので、そこを生かしてWEB予約を開始したようだ。

 羽田空港発着をみると、羽田空港行きはリムジンバス単独運行路線のみ、そして、羽田空港発はリムジンバス幹事社路線全部を対象としている。だから羽田空港発のほうが対象が広い。

 システムを作った人の苦労が偲ばれる。

普及に向けた課題

 ただ、羽田空港行きの限定路線を利用できる人についてはとくに文句はないが、羽田空港発というのは意外と使いづらいような気がする。

 バス乗り場へ到着する時刻を読みづらいのである。

 ここで出張頻度の高い、旅慣れた人を想定しよう。東京行きは自腹で前方の高い席を予約している。荷物もコンパクトにまとめているから預けない。扉が開いたらすぐ出るために自分で努力できるところはぜんぶやる。

 そこまでしても、羽田空港の混雑と悪天候だけはどうにもならない。

 着陸して、次のバスに乗れそうだなと目論んでも「本日はロビーまでバスでのご案内です」と言われるとがっかりである。成田空港第3ターミナルのように遠いのを前提としてくれたほうがまだ潔い。

 目的地によってはバス一択となることもあるようだが、30分待つならタクシーかな、50分待つなら電車かな、と態度を保留している人は少なくない。だから地方空港の出発ロビーには京急などの自動販売機が置いてあるのである。バスにしようか迷っているなら、離陸前に電車に決めてしまいなさいと。そしてモノレールか京急かも合わせて確定させてしまう作戦である。

 電車は終電付近以外は減便していないが、バスはコロナ禍で減便したままである。着陸前に乗る便を決めるのはかなりリスクが高い。機内のWi-Fiは着陸5分前に切れてしまう。

 太川陽介さんほどのバス好きなら上空で途中まで入力を進めておいて、ロビーの動く歩道を小走りしながらボチっとやる感じになるのではないか。問題はその間にセッションが切れてしまわないかということだ。UIはモダンな作りにはなっていたが、もう少し洗練したほうがいいと思う。特に氏名を入力させるあたりがげんなりする。

 降機時に迎えに来たバスの中で、高速バスの発車時刻を迎えてしまった場合、次の便に自動再注文ができたら使う人はいるとは思うけれど、コロナ禍の前は人気路線は次のバスも満員になることがあった。わたしが運営だったら、その機能はリスクがあると判断するだろう。

 ということで、成田から東京に向かう間に、羽田基準でいろいろなことを考えてみたが、端的に言うと、スマートフォンへの入力にもたついている間に到着ロビー1階にたどり着いてしまったら、券売機に行ったほうが早いということだ。

新たな打ち手はないか

 でも、これくらい克服できないと、MaaSは開花しない。スマートフォンで全部片付くといってみたところで、実際はあれこれ苦労させられるようでは誰も利用しない。

 航空便の予約情報と、航空会社の到着時刻情報と、スマートフォンGPS情報、もしくはビーコン情報を使って、スマホの中の電子秘書が「あなたはこれから埼玉に行くんでしょ。10分後にバスが出るけれど、きょうは同伴者にお年寄りがいるから無理ね。電車にしておきなさい」とかガイドしてくれるのがいいとは思うんだな。

 ただ、利用者の協力を得ながらそこまで情報を集めるかなあ。バスが自動運転になったらバス便の方をオンデマンド発車にするアイデアもあるが、それは20年後だな。

 とりあえず、リムジンバスのチャレンジを評価したい。ただ使うかどうかは微妙。

ウイルスの次にやってくるもの

赤十字社の動画がすばらしい。

しかも公開は2年前からだという。


【日本赤十字社】「ウイルスの次にやってくるもの」 - YouTube

ただし、パソコンやスマホを閉じてという箇所は、テレビや週刊誌を閉じてに変更した方がいい。

可用性を分かり合うのは難しい

tech-blog.monotaro.com
大変参考になりました。

で、そのSREのプロの方が、このように書いています。

可用性99.5%の世界を想像できるでしょうか。ブラウザでいろいろなサイトを表示すると1000回中5回がエラーになります。

個人的な意見ですが、「可用性99.5%」と「1,000回中5回」はリンクしないと思うんですよね。

教科書の定義によれば、可用性は、機械を動かしてから壊れるまでの時間と、壊れてから直るまでの時間の比率で求めるものです。
995時間動いた後に、5時間止まったら99.5%です。2つの時間は平均を用いますから、合計1,000時間の中で壊れていた時間が分散していても平均を取れば99.5%になるでしょう。
で、たまたま、同じ人数が等間隔でアクセスしてくれた場合は1,000回中5回になるかもしれません。例えば995:5の場合において、1時間あたり必ず1人ずつ来て、画像がないWebページを3つ見るとします。この場合は、1,000時間運用すれば3,000回のアクセスが来て15回が使えません。しかし、現実の世界においては「わからない」というのが正解ではないでしょうか。


ただ、算定に用いるのは回数ではなくて時間だという定義の話をしたかったわけではありません。


とても信頼性が高いシステムがあったとして、わずかな停止の間に大量のアクセスがあったとします。
で、そのアクセスを人がやっていたら、例えば人がブラウザにURLを入れたり、ブックマークを使ったり、他のページのリンクをクリックしたのでしょう。システムは「少し待ってからやり直してください」というエラー画面を出します。人々はその指示に忠実に従う場合もあるかもしれません。ただ、最近は再送要求を機械がやる場合もあります。機械は疲れを知らないし飽きが来ないので回復するまでに繰り返しアクセスを続けます。また、人だったとしても、人があせっていてブラウザのボタンを連打すれば、再送要求が増幅します。故障当初からアクセスを始めた人に加えて、その後に新規にアクセスを始めた人も要求に加勢します。
そして、増幅した要求を受け止められなくなると、システムは長期停止となります。サーバーは故障から自動復旧するなどしてわずかな停止時間で再開しても結局サーバーのプログラムは処理しきれません。高級なシステムを入れたからといって、止まるときは止まるのです。
これを書いている今は2022年ですから、携帯電話会社の大規模通信障害が記憶に新しいです。
結果として大きなお詫びを支出することになりましたが、もともとそのようなことはないように信頼性の高い設計を依頼し、高額を支払っていたに違いありません。
深夜に障害を起こしてなぜ輻輳が発生するのかと話題になりましたが、夜ふかしする人々がプラチナチケットの購入争いをするかのように連打をしていたわけではないのです。再送要求を出していたのはスマートフォンのソフトウェアでした。

だから、どのような信頼性レベルのシステムがあったとしても、故障期間中に想定を超えるアクセスがあれば正常な応答を返す割合は落ちるのです。携帯電話機会社の場合はデータベースが落ちるという障害も重なり、回復に相当な時間がかかりました。だから、1,000回中、何回エラーになるかは「場合による」が正解です。可用性が90%でも95%でも99%でも「場合による」です。数字が多少変わっても比例はしません。

きっと、「全世界のネットワークを平均した場合」あるいは「言うまでもなく平均5回のことである」といった筆者なりの想定があるのでしょう。平均99.5%が相場だという論旨そのものはその通りかと思います。

ただ、個人的には可用性という言葉の用法が気になります。
可用性、可用率、稼働率、耐障害性、信頼性など、IT業界の人がいろいろな表現をしますが、これを顧客が理解して投資しているとは到底思えないんですね。
情報処理の資格試験では、システムを2つ3つ並列したり直列したりした場合の稼働率を求める問題が出ますが、今時のシステムは複数すぎてそんな簡単には可用性を求めることができません。
分かり合えないくらいなら、可用性を指標とするのはやめたほうがいいと思う今日この頃です。

顧客は裏切られた気分になる

堅牢なシステムを作る依頼をして高いお金を払った会社があるとします。それでもサーバーは落ちましたと聞いたらどういう反応を示すでしょうか。堅牢な設計にしたと聞いていましたが嘘だったのでしょうか。システム会社に説明を求めます。

スーパーの特売の日は対象の商品を大量に仕入れるし、店員もフル稼働でレジをすべて開けて備えます。それでも買い物客が殺到したら整列してもらったり整理券を配ります。品数に限りがあることをあらかじめ告知します。それでも行列が長くなったとき、いくら安いとはいえ、並ぶのが嫌な客はそもそも列に並ばなかったり、並んでいる列から離れます。

システム会社はこれとは少し違うと説明します。今回サーバーが落ちた状況を銀行の取り付け騒ぎに例えます。突然、人が殺到するし、その人たちは諦めないのです。スーパーで買える日用品とは異なり、今引き出せなかったら銀行が潰れると思って店舗に殺到します。しかし現金を払い出せません。

銀行が払い出せないのはなぜか。経営に失敗したとか、預金横領のような不祥事が公表されたとか、経済環境が突然変わったとか、いずれにしろ店鋪窓口の人には不可抗力だと言います。

説明を聞いていて、堅牢なシステムの持ち主は疑問が持ちました。もしかしたら払い出せない理由に銀行のシステム障害はないのか。そして、今回サーバーが落ちた自社にあてはめても、預金に比べれば不要不急な商材であるからサーバーの利用者があせることはないし、自社の社員は不祥事を起こしていない。原因はシステム障害だったのではないか。

やはり堅牢にする方法にミスがあったに違いないと思うようになりました。どうせい手間暇かけても、落ちるときは落ちますって、あれ、インフルエンザワクチンの時に聞いた話と同じだろうか。

システム会社の人は例え話による説明に失敗し、ますます怒らせてしまうことになりました。自分たちが悪いのに、仕方がないと言いくるめようとしたかのに受け止められたからです。

システム会社の説明は、依頼に応じたときも、例え話をしたときにも問題点がありました。また気が向いたら続きを書くことにします。

旅館業法改正案は狂っている(※リークされた報道内容が正しいならば)

 これを書いているのは2022年9月21日の夕方だが、Twitterのトレンドは「マスク着用」と「ノーマスク」が3万件を突破していて仲良く並んでいる。

 旅館業法改正案について、さまざまな意見が出ていて参考になる。

  • 宿泊拒否はけしからん。
  • ばかがホテルで騒ぐから、ようやく法で対応。わからず屋のみなさんおめでとう。
  • 健康チェックを拒否したら拒否できるというものであって、ノーマスクは関係ない。

 

ノーマスク拒否の問題点

 本件を考える上で重要なのはマナーが人権を超越しているということである。

 新型コロナがもはや風邪と同じと学会が主張している現状を無視して、最大限の蔓延防止対策をしなければならないという思い込みから出発している。
 ただ、蔓延防止対策が成功していないことは世界中にばれてしまったから、やめられないことが続ける理由という程度に成り下がってしまっている。それで何か大義がほしくて、ようやく見つけたのが「コロナ脳への配慮と思いやり」ということである。後藤厚生労働大臣(当時)の国会答弁が「気持ち」に言及している。現職大臣は上書していないから、これが現在の厚生労働省の正式見解である。その結果、世界最大の蔓延国で水際対策をするという勘違いまで放置しているくらいだから、国民が勘違いするのは多少は仕方がないのかもしれない。

 病原体に触れたらただちに重症、即死というのであればともかく、主な症状は在来的な呼吸器系不全である。これであれば強制隔離の必要はなく、通常のルールが適用されるべきである。そのルールとは、人は移動先であっても休息を取る権利があるということだ。お前はコロナで汚れているから来るなとみんなが言い出したら、そもそもこの人は飛行機や電車やバスで家に帰る選択肢も奪われる。お金持ちはタクシーで帰れるかもしれないが、貧乏人は歩いて帰れと。離島だったら泳いで帰れと。重症化をして社会に迷惑をかける。
 通勤して職場や満員電車で感冒をもらった人は家に帰れるのに、国外に移動した人と、国外に居住する人、旅行・出張に行った人だけをピンポイントで排除する権利を事業者に与えるものである。同じ国民なのになぜ扱いが変わるのか。ゼロコロナを待たずに移動、旅行をしたのだから多少の不便は仕方がないという論理になるが、それは旅館業界をコロナ風評や潔癖症クレーマーから保護すると見せかけて、旅館業界の客全体を差別しようという試みであり、旅行に対して行政が補助をすることについても、旅行産業振興ではなく、国が差別をする旅行客への迷惑料ということになる。ホテルはこんな無慈悲を心から歓迎するのか。
 公共交通機関も、宿泊業も「悪い評判が広まるから汚れた人は来ないで」「クレーマー対応が面倒だから従順な人しか来ないで」とか言っていないですべての旅行者を保護しなさいというために法律がある。発熱がある方はご旅行をお控えくださいと簡単に言うが、乗り物に乗って帰る人と、ただちに帰れない人、帰るところがない人の権利は保護されるべきである。その覚悟がある人が免許や許可をもらって営業しているはずである。
 これは移動の自由を保障するために重要な原則である。原則だから例外があってもいいという理屈はおかしい。例外は隔離政策の終了により撤廃されたのだ。自宅療養してくださいと言っているのだから、ホテルで療養することは当然認められる権利である。繰り返すが、意図的に撒き散らしたりするのはよくないが、感染を極度に怖がる客がホテルを安心して利用する権利なんて保護に値しない。そちらこそ病院に行って診てもらうべきである。そちら側にやたらすりよるのはなぜだ。
 病に倒れて弱っている人がいたら、換気を強化したり、なるべく早く個室に案内するという措置を取るべきであって、迷惑だから来るなというのであればそもそも客を集める資格がない。
 ホテルは病院でないのだから対応が難しいというふざけた反論をけしかけてくるものがいる。国が隔離は不要と決めたのだから、今まで通りのルールに戻すのは当然だ。隔離が必要な者以外が休息する権利は旅館業界が守る。当たり前のことだろう。
 そのことを理解できないマスク警察やマスクチンピラ、悪ふざけのすぎるクレーマーを何とかするのが国とマスコミの仕事であって、よってたかって「ノーマスクと発熱者は排除ですね」と言っているようでは世も末である。
 たかだか発熱くらいで人を悪魔扱いするなと言いたい。
 だって、マスクとワクチンが大好きなみなさんは、マスクとワクチンがあれば絶対感染しないんでしょ。岸田さんがワクチンを接種した映像はフェイクであるか、生理食塩水を注射したと信じているんでしょ。みなさんは対策しているなら問題ないんじゃないの?え、重症化防止だ???蔓延防止と重症化防止は全く関係ない。重症化している人は出歩かないから安心してほしい。
 どうしてもコロナ脳から抜けられないのであれば、接客を仕事とするのをやめて、山奥で畑をやるとか、小説家になるとか、職業の自由を行使して転職すればいい。
 マスク大好きな人たちは、「強制はしていない、嫌ならイベントに来なければいい、飛行機に乗らなければいい」と言うが、そっくりそのままお返しする。
 非科学的な布切れを口に当てろ、人が体調を崩すのは仕方ないというふざけたことを言っているのはどちらなのか。人が死んでいるのに。
 法律で原則拒否権を持たない旅館業が拒否していいなら、食料品店や日用品店は当然ながら拒否していいという論理になる。これらの店舗には販売義務はない。街全体で排除ということになる。コロナにかかったやつは日頃の行いが悪いから死ねって言っているのと全く変わらないことにそろそろ気付かないのだろうか。
 ノーマスクと発熱者を見ないようにしたいという目先の安心だけで、拒否当然となってしまう。
 マナーだなんて言っている人には、思いやりのかけらもない。むしろ「私は感染対策をしている従順な大人なの。そんな私を仲間はずれにしないで、感染していないことを認めて」と自分だけかばって、他人を切り捨て差別を黙認する立場に回っている。

・・・とか言うとマスク信者は怒り狂うんでしょうか。

個別法での対応における問題点

 健康で定められた自由と、感染症法で定められた制御。この間に「事業者による拒否」という第三形態を設けるというのがこの度の制度設計である。
 自由と制御の間もあいまいで運用が乱れているにもかかわらず、ここで受入義務と拒否という新たな基準を設けたら、何を拠り所にどう判断したらよいかわからなくなる。
 わからない場合はどうなるかというと、忖度文化が最大限働いて自由を制約する方向に働く。
 自由ですけれど、これとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれを全部満たした場合に限ります、とう感じになって、結局は自由はないということになる。これが現在の航空会社の対応に表れている。
航空会社:定期航空協会の指示に従います。
定期航空協会:国土交通省厚生労働省の指示に従います。
国土交通省:航空会社が約款でルールを決めることができますが国は義務にしません。
厚生労働省熱中症対策が優先です。黙っている場所ではマスクは不要です。咳エチケットなどにご協力ください。
 というのがマスク強要の根拠になっているが、誰もマスクが義務なんて言っていないではないか。そして、コロナ脳が嫌がるからご配慮くださいなんて誰も言っていないし、テレビでも後藤厚労大臣(当時)くらいしか言っていなかったが、それが暗黙の了解になっている。

 でもね、マナーが人権を超越しているんだってば。

JR東日本、オフピーク定期券の詳細判明

www.jreast.co.jp
tabiris.com
JR東日本が2023年3月導入を目指しているオフピーク定期券について、申請内容が明らかになった。
どうやってオフピークを判断するのだろうかと思っていたが、入場時刻で決めるという。
出場時刻を判定に使わないのは想定通りだった。早朝出勤しようとしたのに、電車の遅れでピークに差し掛かり、通常運賃を取られたとしたら乗客は納得しないからである。また、入場時に定期券として取り扱わなくするだけなのでシステム処理上も楽ではある。

入場時刻基準は公平か

ただ、入場時刻にしてもたくさんの疑問がわく。

  • 他社乗り換え改札機や、他社管理駅の自動改札機*1を使っても問題ないのか。
  • 都心方面ではなく、郊外方面に通勤している人にとってオフピーク時間帯は適切か。
    • 電車が都心方面ほど混んでいないのにオンピーク扱いされるのは不公平感がある。
  • 相鉄・JR直通線の定期券は、入場時刻を相模鉄道が提供してくれるのだろうか。
    • 都心方面で、JR以外の路線を利用し、改札を通過せずに電車特定区間に入る例は少ない。
    • 山手線内など、都心のみ利用の場合も対象とするようだが、りんかい線で大崎からJR線に入る場合もどうなるのか。
    • 郊外方面も含めると、さらに入場時刻の扱いが気になる駅が増える。
地下鉄東西線からJR中央線に乗り換えて電車特定区間で下車
地下鉄東西線JR中央線直通を利用し電車特定区間で下車
地下鉄東西線JR総武線直通を利用し電車特定区間で下車
地下鉄日比谷線、千代田線からJR常磐線に乗り換えて電車特定区間で下車
地下鉄千代田線のJR常磐線直通を利用し電車特定区間で下車

地下鉄は多くの私鉄と直通運転をしている。長距離通勤をしている人を想定すると、JRに入る直前が日比谷線東西線、千代田線であるだけで、通勤者の最初の入場駅はPASMOのかなり広範が可能性として加わる。西船橋には乗り換え改札があるので、地下鉄東西線総武線乗り換えについては上記の「他社乗り換え改札機」の方に分類される。

通常の定期券を値上げして、オフピーク定期券に値上げ相当を還元すると言っている。それであれば、オフピーク通勤したいすべての人にオフピーク定期券を使える機会を提供すべきであるし、オフピーク定期券がもれなく適用できる区間に対してのみ値上げをすべきであるのだが、疑問が残る。

  • 以下の2つについては、詳細を後述する
    • Suica分割定期券には含められるのか
    • 定期券範囲外から入場したときにはどのような扱いになるのか

オフピーク定期券を用いた新たな節約方法はあるのか

東京から大阪に行くときに、東京駅-大阪駅よりも少し区間を伸ばして往復乗車券にする裏技がある。ところが、今回は電車特定区間で完結する区間のみに限定したところで、区間の微調整ではうまくいかない。大宮から通勤する人が次の駅の宮原まで伸ばすとオフピーク定期券は購入できないので伸ばす意味がない。逆に宮原から通勤する人が大宮からに短くすると、通勤の都度、往復分の初乗り運賃を取られるのでこれも意味がない。
ただ、通勤区間をうまいこと2つに分割すると定期券代を節約できる人がいて、現在通勤定期を分割で買っていて都心方向に通勤している人がいるとする。入場駅でオンピークで乗車するのは逃れられないとして、分割定期の2区間目はどのような扱いになるのだろうか。
電車特定区間外から通勤しているが都心までは行かない人についても、これまでだったら分割する意味がなかったとしても、電車特定区間だけでも1割引きしてもらえるのであれば、高尾や大宮あたりで分割したら有利になるケースが出てくるかもしれない。
分割定期はそもそもオフピーク定期券として認められないとしたら、いっそのこと入場駅からの1区間目は普通運賃で乗車したらどうなるだろうか。もともとうまく分割できる区間の場合は、220円区間など、普通運賃でも乗車距離に比べて運賃設定が割安になっている区間で分割できている場合がある。分割せずに通常通勤定期券を買うよりは途中からオフピーク定期券で乗った方が得なのではないだろうか。ただし、定期券区間外で入場してしまうと定期券区間の開始駅の入場記録はない。オフピーク定期券では定期券区間外からの入場を許可しないということはないだろうから、どうやってオンオフ判定するのだろうか。

*1:新宿の小田急乗り換え改札、分倍河原、高尾の一部など事例が多い

*2:オンピークになる前に再開する場合もあるだろうが、運転見合わせを駅到着前に知って出勤を見合わせる場合もあるだろうから、再開時期がオンピークにさしかかったかどうかで場合分けをしない方がいいと思う