旅館業法改正案は狂っている(※リークされた報道内容が正しいならば)

 これを書いているのは2022年9月21日の夕方だが、Twitterのトレンドは「マスク着用」と「ノーマスク」が3万件を突破していて仲良く並んでいる。

 旅館業法改正案について、さまざまな意見が出ていて参考になる。

  • 宿泊拒否はけしからん。
  • ばかがホテルで騒ぐから、ようやく法で対応。わからず屋のみなさんおめでとう。
  • 健康チェックを拒否したら拒否できるというものであって、ノーマスクは関係ない。

 

ノーマスク拒否の問題点

 本件を考える上で重要なのはマナーが人権を超越しているということである。

 新型コロナがもはや風邪と同じと学会が主張している現状を無視して、最大限の蔓延防止対策をしなければならないという思い込みから出発している。
 ただ、蔓延防止対策が成功していないことは世界中にばれてしまったから、やめられないことが続ける理由という程度に成り下がってしまっている。それで何か大義がほしくて、ようやく見つけたのが「コロナ脳への配慮と思いやり」ということである。後藤厚生労働大臣(当時)の国会答弁が「気持ち」に言及している。現職大臣は上書していないから、これが現在の厚生労働省の正式見解である。その結果、世界最大の蔓延国で水際対策をするという勘違いまで放置しているくらいだから、国民が勘違いするのは多少は仕方がないのかもしれない。

 病原体に触れたらただちに重症、即死というのであればともかく、主な症状は在来的な呼吸器系不全である。これであれば強制隔離の必要はなく、通常のルールが適用されるべきである。そのルールとは、人は移動先であっても休息を取る権利があるということだ。お前はコロナで汚れているから来るなとみんなが言い出したら、そもそもこの人は飛行機や電車やバスで家に帰る選択肢も奪われる。お金持ちはタクシーで帰れるかもしれないが、貧乏人は歩いて帰れと。離島だったら泳いで帰れと。重症化をして社会に迷惑をかける。
 通勤して職場や満員電車で感冒をもらった人は家に帰れるのに、国外に移動した人と、国外に居住する人、旅行・出張に行った人だけをピンポイントで排除する権利を事業者に与えるものである。同じ国民なのになぜ扱いが変わるのか。ゼロコロナを待たずに移動、旅行をしたのだから多少の不便は仕方がないという論理になるが、それは旅館業界をコロナ風評や潔癖症クレーマーから保護すると見せかけて、旅館業界の客全体を差別しようという試みであり、旅行に対して行政が補助をすることについても、旅行産業振興ではなく、国が差別をする旅行客への迷惑料ということになる。ホテルはこんな無慈悲を心から歓迎するのか。
 公共交通機関も、宿泊業も「悪い評判が広まるから汚れた人は来ないで」「クレーマー対応が面倒だから従順な人しか来ないで」とか言っていないですべての旅行者を保護しなさいというために法律がある。発熱がある方はご旅行をお控えくださいと簡単に言うが、乗り物に乗って帰る人と、ただちに帰れない人、帰るところがない人の権利は保護されるべきである。その覚悟がある人が免許や許可をもらって営業しているはずである。
 これは移動の自由を保障するために重要な原則である。原則だから例外があってもいいという理屈はおかしい。例外は隔離政策の終了により撤廃されたのだ。自宅療養してくださいと言っているのだから、ホテルで療養することは当然認められる権利である。繰り返すが、意図的に撒き散らしたりするのはよくないが、感染を極度に怖がる客がホテルを安心して利用する権利なんて保護に値しない。そちらこそ病院に行って診てもらうべきである。そちら側にやたらすりよるのはなぜだ。
 病に倒れて弱っている人がいたら、換気を強化したり、なるべく早く個室に案内するという措置を取るべきであって、迷惑だから来るなというのであればそもそも客を集める資格がない。
 ホテルは病院でないのだから対応が難しいというふざけた反論をけしかけてくるものがいる。国が隔離は不要と決めたのだから、今まで通りのルールに戻すのは当然だ。隔離が必要な者以外が休息する権利は旅館業界が守る。当たり前のことだろう。
 そのことを理解できないマスク警察やマスクチンピラ、悪ふざけのすぎるクレーマーを何とかするのが国とマスコミの仕事であって、よってたかって「ノーマスクと発熱者は排除ですね」と言っているようでは世も末である。
 たかだか発熱くらいで人を悪魔扱いするなと言いたい。
 だって、マスクとワクチンが大好きなみなさんは、マスクとワクチンがあれば絶対感染しないんでしょ。岸田さんがワクチンを接種した映像はフェイクであるか、生理食塩水を注射したと信じているんでしょ。みなさんは対策しているなら問題ないんじゃないの?え、重症化防止だ???蔓延防止と重症化防止は全く関係ない。重症化している人は出歩かないから安心してほしい。
 どうしてもコロナ脳から抜けられないのであれば、接客を仕事とするのをやめて、山奥で畑をやるとか、小説家になるとか、職業の自由を行使して転職すればいい。
 マスク大好きな人たちは、「強制はしていない、嫌ならイベントに来なければいい、飛行機に乗らなければいい」と言うが、そっくりそのままお返しする。
 非科学的な布切れを口に当てろ、人が体調を崩すのは仕方ないというふざけたことを言っているのはどちらなのか。人が死んでいるのに。
 法律で原則拒否権を持たない旅館業が拒否していいなら、食料品店や日用品店は当然ながら拒否していいという論理になる。これらの店舗には販売義務はない。街全体で排除ということになる。コロナにかかったやつは日頃の行いが悪いから死ねって言っているのと全く変わらないことにそろそろ気付かないのだろうか。
 ノーマスクと発熱者を見ないようにしたいという目先の安心だけで、拒否当然となってしまう。
 マナーだなんて言っている人には、思いやりのかけらもない。むしろ「私は感染対策をしている従順な大人なの。そんな私を仲間はずれにしないで、感染していないことを認めて」と自分だけかばって、他人を切り捨て差別を黙認する立場に回っている。

・・・とか言うとマスク信者は怒り狂うんでしょうか。

個別法での対応における問題点

 健康で定められた自由と、感染症法で定められた制御。この間に「事業者による拒否」という第三形態を設けるというのがこの度の制度設計である。
 自由と制御の間もあいまいで運用が乱れているにもかかわらず、ここで受入義務と拒否という新たな基準を設けたら、何を拠り所にどう判断したらよいかわからなくなる。
 わからない場合はどうなるかというと、忖度文化が最大限働いて自由を制約する方向に働く。
 自由ですけれど、これとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれを全部満たした場合に限ります、とう感じになって、結局は自由はないということになる。これが現在の航空会社の対応に表れている。
航空会社:定期航空協会の指示に従います。
定期航空協会:国土交通省厚生労働省の指示に従います。
国土交通省:航空会社が約款でルールを決めることができますが国は義務にしません。
厚生労働省熱中症対策が優先です。黙っている場所ではマスクは不要です。咳エチケットなどにご協力ください。
 というのがマスク強要の根拠になっているが、誰もマスクが義務なんて言っていないではないか。そして、コロナ脳が嫌がるからご配慮くださいなんて誰も言っていないし、テレビでも後藤厚労大臣(当時)くらいしか言っていなかったが、それが暗黙の了解になっている。

 でもね、マナーが人権を超越しているんだってば。