日本の原発のイメージ低下

菅首相原発停止の思いつき。今のところは本当に実行されるのかわからず、経済産業大臣に丸投げというから、思いつきと表現しておく。この際だから何をしてもいいが、あとで法律的裏付けが伴うよう与野党と連携してほしい。言ったままでは何も起こらない。
5月6日の読売新聞によると、

今回の停止要請を発表直前まで知らなかった小沢グループのある議員は「党内調整が不十分だ。そもそも、なぜ浜岡原発だけなのか、理解に苦しむ」と批判。政調幹部も「日本の原発はダメだという誤ったメッセージを発信することになりかねない」と懸念を示すなど、今回の判断が首相の政権基盤の強化につながるかどうかは微妙だ。

実際に被害が出たし、安全設計もいい加減だったのだから、残念ながらだめなのである。だめなものを大丈夫と言ってはいけないし、素直に「今のままではだめなので対策します」というしかない。確かに積極的にだめであることをアピールしなくてもよいけれど。
ウランを用いて、放射性物質を含んだ高圧水蒸気を発生し、常時電源投入しなければ制御不能原発の原理がとにかくだめなのである。1kmの高さの大津波に耐えようが、過去最大級のマグニチュードを100倍上回る地震に耐えようが、戦略核ミサイル攻撃に耐えよう*1が、だめなのである。想定しなかったことは今後も起こる可能性がある。それが起こったときに人間ではウランやプルトニウムを制御できない。安全対策を強化すればいいとか、今回も地震には耐えたから自信を持て、というような問題ではすでにない。
原発の技術は生かすべきだが、ウラン・高圧水蒸気・常時電源投入の3つを解決する新たな方策を考えなければだめだ。トリウムはどこまで現実的なのか。レアメタルを掘ればいくらでも出てくるそうではないか。他国は移行し始めている。日本の原発のイメージ低下? イメージだけでなく実際の性能面でも競争力がない。
科学技術全般、人間が行うあらゆる事業において絶対安全がありえないのはわかっているが、それにしては残余リスクが大きすぎるし、それを無意識だけでなく周りの空気に飲まれて意識的にも無視しようとしてきた設計を今後も排除できない。やはり原発は縮小していかなければならない。

*1:本当に原発が耐えたとしても日本自体がなくなっていると思われるが...