大切なのは送電網と蓄電

ネットの書き込みを読んでいると、それでもやっぱり原発が必要という意見がしぼんで、やはり原発はトータル・コストが高くつくという論調になってきた。田原総一朗さんは世の中は理屈通りにいかないのだという解説をしていたが、そういうことではなく、エネルギー問題は安全保障問題であり、ポートフォリオの問題である。
昭和の時代において、世界の人口が増え続け、エネルギーの奪い合いが起こることがわかっていた。その中で、電力業界は原子力一辺倒ということではなく、水力・火力・原子力をバランスよくと広報していた記憶がある。今はバランスではなく多少コスト面偏重になり、水力は原子力の補完になってしまっているが、火力・原子力が中心である*1
ここでもう一度、バランス重視の政策に変える必要がある。「火力に頼らざるをえない」というのは短期的な現実であるし、「クリーンエネルギーに切り替える」というのはスローガンとしてはよいが、実際は火力もクリーンエネルギーも全部やるのである。
原子力廃炉にしたところでその場に残り続けるのだから、震災前の小規模火力発電所みたいに、受給ひっ迫時にだけ動かせばいい。原子力はコストが安いから使うのではなく、高いのを承知でどうしようもないときにだけ使うのである。連続で動かし続ければ効率が良いし、安くなる。でも、効率重視で原発を動かしてはならない。そして、本当に電力がだぶつくようなことがあれば初めて廃止にする。原子力は危険だから今すぐ廃止しろというのは正論であるし、全国の原発周辺住民の安全を重視するのは立派だが、東京電力管内では計画停電によって命が脅かされている人がいるし、必死で看病をしている人も疲弊している。そちらもまた命である。ただしもう推進はしない。できない。
孫正義さんが100億円寄付を表明したインターネット生放送で、ソーラーパネルについて言及していた。あと25%コストダウンすればコスト競争力が付くが、問題は余った電気を送電する仕組みがないことだと言っていた。原発の話をしていたので、クリーンエネルギー推進の方に関心が向かいがちであるが、問題は効率的に送る、貯めることができない問題を無視して効率一辺倒でやってきたことである。原発におけるコスト面偏重は広い意味で効率に含まれる。
政府は、ソーラーパネル推進のためにソーラーパネル自身に補助金を付けてきた。しかし、送電網が複数あって競争すれば、送電コストは下がるし、送電コストが下がれば電気事業者による買電価格も下がり、ソーラーパネル燃料電池も普及するのである。地域電力会社の寡占体制も崩れる。
ソーラーパネルはクリーンエネルギーなので供給が不安定になるというが、供給が不安定なら供給できないところに融通する仕組みができればいいのである。嵐の日は太陽光発電ができないが、一般的には太平洋側と日本海側とで同時に雨が続くのは梅雨の季節くらいである。日本最大の需要ひっ迫は関東地方の酷暑日(お盆を除く)であるが、その日の関東平野は晴れているはずで太陽光発電量が大きいはずだ。冬は暖房需要が高まるが関東平野は晴れの日が多い。すると、朝と夕方のピークタイムに対応していないので蓄電に取り組む必要がある。蓄電についても述べる。
大規模蓄電は揚水発電しか見あたらないが、このことで「電気は貯められない」ということがスローガンのようになっている。深夜電力消費の自粛が経済を冷やしていることへの説明としては正しいが、今後は電気を貯めて使うことも考えなければならない。
家庭の電気を作ったりためたりするのは商用電源以外の選択肢がすでにあるのだから推進すべきである。商用電気自動車が200km以上も走れる時代なのだから、ピーク時間の冷暖房や炊事・洗濯の電力くらいなんとかなりそうである。問題は効率が悪いと言うこと。しかし効率だけで論じるのはやめにしなければならない。確かに蓄電池は高いが導入しなければならない。
自宅介護のための人工呼吸器等の生命維持装置に非常用電源がついていないというのは驚きである。初めて聞いたときは30分とか1時間しかもたなくて3時間の計画停電で電池が切れるという問題なのかと思ったが、実は電池がついていないことがあるという。ひかり電話やガスのマイコンメーターが使えないとか、ガス発電が停電で使えないというのもおかしな話で、1、2日蓄電するのは基本機能としてあるべきなのかもしれない。しかし、ひかり電話の通信装置に電池をつけたら、電池が通信装置の数倍の値段になってしまう。数千円の電池パックで30分だけ電話できますという装置もあるようだが、停電は瞬間停電くらいしかないから電池を貯める必要がないというこれまでの思い込みによって設計されている。3時間も停電されてしまうと電池が切れてしまうので、計画停電の際にはあらかじめ電源を落としてください、という告知が行われている。非常用電源として消費者は購入したのだろうが、実は「安定化電源」と呼ばれるである。そして非常時には役立たないものである。電池がついていれば何でもいいというものではない。
蓄電池を付けると、流通するあらゆる電気製品が重くなるという課題がある。また、電池は消耗品のため、廃棄物が増えることも課題である。乾電池のように規格を統一できたらいい。そして取り外し可能にする。使わなければならない機械に使うときだけ装着するようにすればよいし、集めれば再処理しやすい。例えば2枚組12cm CDケース、あるいはVHSテープ1つ分の大きさで規格化すればよい。
さて、今日現在の知識と思い込みだけで、太陽光と風力だけに肩入れするのはよくない。太陽光も風力も課題山積であるし、近所に設置された発電機で苦しんでいる人がいる。新たな発電のアイデアを拒まずどんどん競争させる。そして電力会社にもガス会社にもベンチャーにも他分野からもどんどん参入してバランスよく発電すればよい。原油の輸入が止まっても「電気料金がちょっと上がったね」と笑ってすませられる社会にしたい。
国はなかなか本音を言いにくい。先に安全保障問題、もしくはポートフォリオの問題と書いたが、平たく言えば、産油国やウラン生産国とこの先けんかするかもしれないし、海運が妨害されるかもしれないということである。あるいは経済の衰退で日本が外貨を持たなくなるかもしれない。世界中が救いの手をさしのべている状況ではなかなか言い出せない。我々市民がそれを忘れないようにしなければならない。国債情勢にも左右される。これはガソリンが200円近くまで高騰した際に、経済への影響を理解したが、200円どころか、1,000円出しても1日並んでも手に入らなくなるかもしれないということである。今すぐ原子力をやめるということは、経済の止める悪影響以上に安全保障上問題がある。「生活水準が多少下がってもいい」なんてのんきな話ではない。今すぐプルトニウムを出していない原発は、問題が山積であることを認識の上、当分は動かさなければならない。
送電網の自由化と小規模蓄電の仕組みの推進をすればよい。小規模発電とかクリーンエネルギーというのは勝手に付いてくる。
昔は、DDIや日本テレコムがNTT独占の国内通信をやるなんて想像できなかった。ましては携帯電話事業者を作り、今のauSoftBankにつながるとは思わなかった。電力もまた地域内競争ができるはずである。

*1:火力でさえも小規模発電所は休止させ、原子力の補完になってしまっているかもしれない