自殺志願者急増 つづき

http://d.hatena.ne.jp/o1y/20080707に、自転車を用いた自殺志願者について書いた。

  • 暗闇で無灯火
  • イヤホンかヘッドホンで音楽を聴いている
  • 走行中、携帯電話を手に持って操作している

わたしの定義では、これがすべて十分条件(and条件)を満たしていたら、どう考えても自殺志願者にしか見えない。ところが、本人たちは日常の通勤・通学帰りの気持ちでいるらしいから恐ろしい。無意識の自殺志願者が街中に溢れているのは社会問題ではなかろうか。毎日、見かける。しかもひとり、ふたりではない。どうして無灯火・音楽・携帯の三拍子が見事に揃うのか。流行なのだろうか。

電気自動車

さて、騒音が小さい電気自動車が普及すると、無灯火で視覚と聴覚をふさいだ自転車は自動車と衝突事故を起こしやすくなるだろうか。
視覚障碍や聴覚障碍だけで、すぐさま事故が発生するとは思えない。体が不自由な方々は現に街中を移動している。やがて、ITが進展すれば車は自分の存在を発進するようになり、障害者はそれを端末で受信して接近を知るようになるだろう。今後、もっと安全になる可能性がある。
しかし、それは不自由な方々が自分の障碍を理解し、用心しているからであり、あえて自分を相手からわからなくして、自分も相手を見つけることを怠っている人種は、エンジン音が出ていようがいまいが関係ない。保険金額における自動車と自殺志願者の過失割合を0:10とし、報道や学校でいかに愚かな行為であるか周知徹底を図らなければ自殺志願者は減らないだろう。もし事故で死亡しなかったら罰金を取るくらいがよい。自転車運転者にも危険運転傷害罪(歩行者をひいたら危険運転致死傷罪)を適用できるようにすべきではないか。
帰り道の数分から十数分、携帯電話や携帯音楽プレーヤーを離せないというのはどのような脅迫観念からくるものなのだろうか。現代人が忙しすぎるのだろうか。

自動車との違い

車を運転中にヘッドホンをしている人は少ないが、カーオーディオをがんがんかけたり、イヤホンをして電話をかけている人はいる。しかし、違反取り締まりもあるし、事故の恐ろしさも教育されている。携帯電話の使用は罰金となる。結果として、無灯火で、カーオーディオをがんがんかけながら、携帯電話を操作し、路地の交差点を停止せず突っ込むような運転をする人はめったに見かけない。ところが、自転車はそうではない。違反取り締まりは事実上ないし、教育も不十分である。自転車は免許制にすべきなのだろうか。
自動車と異なり、自転車には免許がないので摘発するといきなり赤切符になってしまうという。しかし、前述の無灯火・音楽・携帯の人間は自殺志願であり、他の歩行者などにとっては一種のテロ行為である。さきほどは罰金と書いたが、もしかしたら、手錠をかけて警察署に連行するくらいがちょうどいいのではないかと思う。

自動点灯

そろそろ、国内で販売する自転車はヘッドライト自動点灯を義務づけるべきではないか。実勢価格で2,000円もしないし、ハブに内蔵するタイプや電池式だったらダイナモとは異なりそれほどペダルが重くならない。
昼間の点灯はいらないと思うが、公道を走る自転車は、昼間でも装着義務を課したらよい。「まだ夜ではない」「この道は街頭が明るいから不要だと思った」というようないいわけをする人が必ずいるからだ。