日常と非日常との交錯

 千葉の幕張新都心に通う友人。京葉線の東京駅に行くととても憂鬱になると言う。目的地の幕張の手前には浦安がある。これから春休みの季節。こちらはこれから仕事に行くというのに、うきうきわくわくのディズニー・リゾートに行く客が通勤電車の座席を占領。お菓子を広げて大騒ぎ。急がなければならない通勤者は次の便を待つ余裕なく立たなければならない。手に持つ新聞や雑誌で彼らの楽しい雰囲気を遮断できるはずがない。
 行楽客にしてみれば遊園地に行くのは初めてか久しぶりのことだろうが、通勤は毎日のことである。通勤客の気持ちに立てば、下りの快速を舞浜通過にすれば喜ばれるが、JRにして見ればディズニー・リゾートに行く人もお客様には違いないので舞浜には止めるのである。さらに言えば、舞浜駅へ通勤定期を持って通う人もいる。ビジネス・スーツは着ていないかもしれないが、舞浜ではユニホームに着替えてホテル従業員をしたり、コスチュームを着てアトラクションでダンサーをしたりしている。彼らにとっては舞浜も日常なのである。舞浜で降りる客を目の敵にしている通勤客も、自分たちと同じ側のひとがいることまでは気づいていない。
 同じ場所を、日常を過ごしている人と非日常を味わっている人が共有している。かりゆしウェアやTシャツで埋め尽くされた沖縄行きの航空機でも、出張旅行者と客室乗務員は堅苦しい上着を着て乗っている。客室乗務員は仕方がないとしても、出張客は沖縄に行けるのに、心から楽しめない。沖縄に行くのはうれしくても、仕事に行くなら冬以外は暑いだけだし、なにより楽しさにあふれた周りに溶け込めない自分に気づくのが寂しい。
 新幹線で子供が騒ぐのがうるさいといったクレームも、観光客にとってはたったの数時間しかいない空間であっても、常連客にとってはいつも過ごしている場所が乱されるという気持ちが怒りを増幅させる。高い金を出して乗っているという意識があると我慢しきれなくなる。
 ディズニーランドやイクスピアリは、敷地外の建物が見えないように工夫するなど、完全に日常の風景を排除している。一方、乗り物にはそこまでの配慮はない。ビジネス客も通勤客も観光客も混ぜられている。同じ扱いにしている事業者がいけないのか、同じ扱いにさせられていることに怒る客がいけないのかは判断が難しいところであるが、ただひとつ言えるのは、

乗り物はおとなしく乗りましょう。

これが基本である。