ドライバーレス運転

鉄道では自動車に先駆けて無人運転が実現している。ただし新交通システムなど、全線高架やホームドアなどによってリスクを排除することができる路線に限られている。

それより範囲を広げて、地方交通でもドライバーレス運転が研究されているという。

https://toyokeizai.net/articles/amp/323973

記事によると、人手不足に備えて運転手ほどの専門性や技能を必要としない乗務員を乗せるのだという。

ブレーキを任せられるのは運転手のみ

鉄道に限らず、運転手が必要な理由のうち、最も重要なことは安全に止まること。自動車の教習所でも最初のうちに習うことだ。しかし、運転手未満の乗務員に安全確保義務を課すならそれはすなわち運転手なのではないかと思う。ドライバーレスと言っておきながらシフトを組んで早朝でも深夜でも休日でもそれなりの安全確保義務を理解した人を乗せなければならないなら人手不足対策にはならないと考える。

目標物が見えたら速度を変えるとか、天候や乗車率をふまえてブレーキの強さを変えるといったことは職人的かつ高度な技能かもしれないがもはや自動でよい。

人の役割として最後まで残すのは、機械が見逃した不測の危機に対して非常ブレーキをかけることだ。

ただし、非常ブレーキをもたせるとはいえ、運転手が扱わないのであればブレーキをかける権利を与えるものでしかない。もし死にそうだったら最後は自分の判断で止めてもいいとするのである。

機械はすべてのリスクを把握しているわけではないので、まれに何かが起こるかもしれない。ただ、機械も判断して制御しているのでその判断を疑ったり、判断に歯向かったりさせるのは運転手ではない人にとって大きなリスクである。事故になったら責任を問われるし、先頭部にいたらけがするかもしれない。

だから、非運転手の乗務員は、起こってしまったことに対応するのが仕事で、起こりそうなことに対して対応しなくても免責になる。司令に連絡したり、車両の点検をしたり、乗客に説明したりするのことまでを責任範囲とするしかないのではないか。

ブレーキの管理を任せるなら運転手にさせるべきだ。運転手の養成がたいへんなら、ブレーキだけでもしっかり研修を積んだ乗務員を養成し、それも限定つきながらも運転手として処遇すべきだ。自動車のオートマチック限定みたいなものを想定する。

運転手が来なければ運休

無人運転の場合、想定外の大雪や、自動運転のシステムが故障すると運休になる。

ドライバーレス運転の場合、乗務員がいるのに運転打ち切りになる。運転手不足のためにドライバーレスにしたのだから変わりの運転手が来てくれる可能性は下がる。

訓練を受けた限定運転手で、運転手と同じ制服を着ていたとしても、走らせることはできない。これは乗客にはわかりにくい。駅間で止まったら、隣駅まで一緒に歩きましょうと言い出すかもしれない。あなたが運転すればいいのではないかと詰め寄ると、ごめんなさい、規則なんで無理です、としか言わない。

乗務員を悪者にしないためには都市部を走る新交通システムよりはるかに高い信頼性が求められる。それが難しいなら限定運転手に次なるキャリアパスとして限定なし運転手になることを推奨しなければならない。

ただし、そのために限定運転手の待遇を限定なし運転手よりも下げると、誰も成り手がいない。

今でさえバスや船を中心に乗り物の乗組員は成り手が少ない。飛行機や電車の場合はまだ操縦することに憧れを抱いてくれる人がいるから募集が成立するのであって、運転席でボタンを押すだけの仕事であれば遊園地の従業員と変わらないかもしれないし、ロープウェイの添乗員のように何かあっても乗客をなだめることしかできないかもしれない。

その上、待遇まで下げたら、眠気を我慢して長距離移動を強いられる仕事として誰も近づかなくなる。

ドライバーレスという中途半端な施策はやめて、一気に無人運転を目指すべきなのだと思う。新幹線特例法のような制度面での対応も必要だ。もちろん技術の適用は段階的であるべきで、最初はドライバーレスを採用する鉄道会社もあるだろうが、過渡的な運用であるべきだろう。