通勤手当の課税検討

 国税当局が過去最高の徴税を達成したにもかかわらず、まだ増税の議論をしているという。
 MMT理論によれば、銀行が創造した信用により市中に出回っている通貨を、国が懸命に回収して富をつぶそうとしている。
 社会保険の負担がうなぎのぼりだとは言うけれど、社会保険料は税とは関係なくどんどん上がっているので、それとは別に増税をする理由なんてほとんどなかろうに。

 そんな中で批判が多いのが通勤手当の課税。
 いわゆるサラリーマンで、いわゆる通勤をする人にだけ準給与を非課税で受け取れるのは不公平だという考えのようである。

 通勤手当をもらっている人が不公平だったら、飲み代を接待交際費で処理できる人の方がもっと不公平なような気がする。移動でタクシーを利用できる人もかなり不公平である。課税強化したいならもっとましな理由を考えたらどうか。飲み代やタクシーならまだしも

通勤定期がうらやましい、途中下車できる、いいないいな、ずるいずるい

そんなこと誰が言っているの?

通勤手当から現物貸与へ

 通勤手当が課税なら、持参人式定期券を考えたい。例えば都営バスだと交通系ICカードではなく磁気券に限るなどの制約はあるが、会社で買って従業員に貸与すればいいのである。外回りが多い営業さんに「タクシーではなく地下鉄やバスにしなさい」とする。現物貸与なので手当ではない。いわゆる全線定期に持参人式が設定されていることが多いので、乗車頻度が多ければおすすめである。

遠距離通勤がつらい

 一極集中を緩和するため、地方移住は国の政策ではなかったのか。
 ところが、通勤が遠距離になるほど課税するとなると、生活費が高い都会に住むと節税というメッセージになる。この政策誘導は妥当か。
 新幹線通勤に手当が出たらどうなるのだろうか。

通勤に罰金を設けるようなもの

 リモートワークにより、定期券代を懐に入れている人もいなくはないけれど、多くの人はもらったお金で定期券を買ってしまい、手元に残らない。定期券を買うために本給から天引きが行われる。定期券購入に合わせてさらに消費税が課税される。二重課税である。

居住地は誰でも選べるものではない

 子育てをする、介護をする、親と同居する。居住の自由は憲法で保障された権利だとははいえ、しがらみの多い大人の多くは自分の仕事にとって最適な地域に住んでいるとは限らない。
 住所を選ぶことに課税するということは、同じく憲法が保障する職業選択の自由に制限をかけているようなものである。
 あなたがどこで働こうが自由です。でも国にも金を払ってね、って本当の意味で自由なのだろうかと。

赴任を命令しにくくなる

 仕事上「ここに住んでください」とお願いされる職業が存在するが「いやいや、そんなところに住んだら課税されますから」と言われたら雇用者は困るのではないか。
 新店舗を作っても店長の成り手がいない、郊外にある寮が敬遠される、学校の先生などの人事異動に制約が発生するなどの事態が起こる。

今までの制度を変えるときには何らかの不慣れや不自由が起こるものだが、さすがにこれはないだろうと思う。
福利厚生、接待交際費、社宅ときて、通勤手当までなくすとなると、国が目指しているのは、国民総フリーランス化ということか。