緊急事態宣言再び

 新型コロナウイルスで、東京都が独自の緊急事態宣言を出して以来、いくつかの県が追随している。
 重症患者数は十分にコントロールできている水準にもかかわらず、入院患者を増やし、医療を逼迫させておいて危機を煽っている人がいる。日本では一度決めたことをやめることがなかなか難しく、「対処療法が確立してきたし、重篤な肺炎にかかる人も減ってきたので、指定感染症から除外しましょう」と言い出せる専門家がいない。
 検査を増やしているから、社会に蔓延するウィルスはどんどん見つかるが、保有する人は全員感染者扱いにしてしまい、過剰な対応をしてしまう。家に帰っておとなしくしていなさい、できれば買い物などは家族や親せきにお願いしなさい、と言えば十分で、他人である医師や看護師に世話を任せるというのはおかしな仕組みだと思う。

専門家のために一般人が経済苦に陥る

 医療が崩壊するからステイホームというのは、正しいことのように見えて実は根本が間違っていると思う。
 まず何度も前置きするが、現場でがんばっている臨床医や病院関係者にはみんなのために日々取り組んでいることについて、感謝を忘れてはいない。医業者個人を批判するためのものではない。
 その上で、高度に分業が進んだ現代において、突発的な高度の判断を必要とする事件については、専門家を抱える業界がまずは市民の生活に影響が及ばないように行動をしなければいけない。
 過去に西暦2000年問題の話を書いた。
20年前を思い出す - 作文の練習
戦争になれば軍隊が、領海侵犯は海上保安庁が、暴動が起これば警察が、放火が増えれば消防ががんばるしかないというのが現代社会の前提である。パン屋さんが店を閉めて事件対応する仕組みだとしたら非効率この上ない。
 平時の救急医療は逼迫し、不要不急の自由診療が高給高待遇を獲得する一方でインフルエンザなどの感染症などの対応は一部の機関任せ、看護師の労働は過酷で女性の場合は出産後に復職することが困難、歯科の開業医がコンビニ以上に街にあふれて貴重な高スキル人材を無駄に増やしているといった諸問題を放置し、さらに様々な医療および介護の現場で危機的状態があるにもかかわらず、新型コロナウイルスのときに限って市民に過剰自粛によって負担を求めるというのはいかがなものかと思う。
 平時から業界を改革する力を失っているから、緊急自体になっても変わることができない。
 西暦2000年問題も、社会インフラへの重大な危機だったが、元はと言えば自分たちの業界が生んだ問題だと割り切って乗り切った。今回の医療崩壊も医師全体から見たらわずかな機関の話*1で、申し訳ないけれど自分たちの業界が招いた問題なのだから自分たちである程度なんとかしてほしいという気持ちを完全に拭い去ることができない。
 厚生労働省の意思決定には医療の専門家が十分に介入できたし、実際に影響を与えてきた。それにもかかわらず、自分たちの体制立て直しの話ではなく、市民に新しい生活様式を求める話にすり替わっているところが滑稽でならない。現場を助けるために使えたはずの予算を布マスクに溶かしたことをこの業界はどう総括するのだろうか。

長期入院はさせませんと言えばいい

 臨床医からは、春先に比べて肺炎の症状が出ている患者がいなくなっているという声もあるらしい。
 7月末の東京都の統計では「入院・療養等調整中」の患者が増え続けているとされているが、ほぼ同数の入院患者が中・軽症患者だという。
 普段、病院経営が成り立たない診療報酬制度になっていることを理由にして寝たきり老人を追い出しているのであるから、同じ判断基準で、病院経営が成り立たない中・軽症患者は症状が落ち着いたらホテルか自宅での療養に切り替えてもらえばいい。これを妨げているのは指定感染症だからだ。
 行政側から「ベッドを確保してください」と言われたときに「はいわかりました」と受け止めるだけではなく、「もう退院させますから、ホテルを確保してください」と業界側も言い返せばいい。医者は目の前の患者に対して一所懸命だというが、寝たきり老人を追い出している例はそうとも言えず、それで「旅行業界や飲食業界は潰れてください」というのは納得がいかない。

*1:患者が集まらなくなった経済苦の問題は別途ある