強要の定義が折り合わない

刑法233条第1項

第223条
生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、
人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。

SNSを見ていると、マスク警察、マスクチンピラたちが「ノーマスクたちは、強要強要って騒ぐけど、誰も強要なんかされていない。嫌ならやめる自由がある」とおっしゃいるのを見かけます。

コロナ脳たちの身勝手な定義では、体を押さえつけられるなどして自由を奪われ、マスクを装着させられることだと言うのですが、違いますから。
法的根拠もなく、合理的理由もないのに相手の自由を奪う要求をしたら、それは強要というのだと思います。

強要って、無理に要求した時点で成立するのではなかったのですかね。
「刑事が自白を強要する」のような用法で、強要は多くの人が知っている言葉だと思っていたのですが、あまりにもコロナ脳が間違った解釈論を広げすぎているので時々自信がなくなります。
嫌なら黙秘すればいいし、刑事が被疑者の声帯に電流でも流したりして無理やり発声させているわけではないんですよね。でも強要は成立していますよ。
嫌なら店などでサービスを受けるのをやめればいいし、むりやり手足を縛ってマスクをさせているわけではないんですよね。でも強要は成立していますよ。
言い換えたらわかりましたかね。
自分たちの思い込みを正当化したいがゆえに、強要の言葉まで無理やり違う意味に変えようとしているようです。

「強要するな」「いや、強要なんかしていない」
この人たち、人を殺しても「人を殺すな」「いや、人を殺してなんかいない」と言い出しますよ。

強要が刑事罰になるのは要求がエスカレートして、告知を伴う「脅迫又は暴行」に昇華した場合に限定していますが、
マスクができないならバスを降りてくださいの類は脅迫ですよね。従わなかったら目的地に連れて行かないと言っているわけだから。
テレビに影響されて、素顔の人を見て怯える人がいるのかもしれませんが、脅されて怯えている人も少なからずいます。

今時、マスクの効果を信じている人など、コロナ脳以外にはいないと思います。
思いやりとかマナーだとか言っている人もいますが、思いやりやマナーを言い訳に他人を強要するのは、
「俺たちに挨拶がないなあ」とつっかかってくる反社会勢力の人たちと全く同じで、その行為自体にマナーが欠けています。
マナーがない者にマナーを語る権利はなく、ましてや思いやりなんかではありません。