首都封鎖

ロックダウンなどの聞き慣れない言葉に対して河野防衛大臣が苦言を呈したそうだが、首都封鎖、都市封鎖という単語が急上昇ワードになっている。封鎖をすることで感染爆発を多少防げるかもしれないが、副作用が大きすぎてやるべきではないと考える。
全国の交通事故死亡者は年間3千人台で推移している。大阪・兵庫の人的交流を止めないと数週間後には3千人くらいが感染するかもしれないという推計があったようで、3月の連休において大阪・兵庫の知事が3連休における移動自粛を求めた。3千人の感染者を野放しにするとその2週間後にはさらに1桁感染者が増えるが、交通事故の年間負傷者数である50万人台に届くだろうか。
今の感染者数のレベルであれば、自粛は必要であるものの、さらに踏み込むとするならば都市を封鎖するよりは車の運転を全面中止した方が市民の安全は守られる。車の禁止はだめで、都市封鎖が認められるというのはアンバランスで、どちらも無理だと考えるべきではないか。都市を封鎖したら、外出は禁止されるのだから車は運転できない。
都心の小売や物流を担う人は、郊外に住んでいる。日用品店、コンビニの店員やトラックの運転手だけは荒川多摩川江戸川を渡って東京に入っていいいですよ、って誰がどうやって確認するのだろうか。封鎖をしたら、数十万人は餓死する。

疎開が先では

第二次世界大戦中、空襲から市民を守るために行われたのは帝都の封鎖ではなく疎開である。地方の疲弊がさらに進む数年後はわからないけれど、今はまだ、年末年始やお盆の時期に帰省を受け入れることが可能である。東京の人口密度を減らすために、帰省できる人は帰省したらよい。封鎖されたら東京に残っていても登校できないのだから、人口密度の低い土地にいた方が個人の感染リスクも減らせる。
今は緊急時であって、人口密度を減らすのが目的だから、疎開できる人とできない人がいるという議論は不要。できる人だけが田舎に行けばいい。
新幹線や飛行機は換気も十分だし、乗車率は悲惨な状況である。今なら疎開できる。都市が封鎖されて、スーパーの棚が空になり、炊き出しの列に毎日並ぶよりは遥かに感染リスクが低い。小池知事が記者会見で

 強力な措置を取らざるをえない可能性がございます

と説明した。これが首都封鎖と受け止められたのだが、今の段階から疎開できる人はしてほしい、という方が先ではないか。
ちなみに、疎開を提案、推奨しているわけではない。都市封鎖をやるくらいならば、その前に疎開をすべきと言っているだけである。移動を活発にして蔓延するリスクはあるが、炊き出しで結局集まるなら同じである。
テレビを信じる人は、都市封鎖の姿を外国の映像を見て想像するのだろう。例えば車が通らない道路などを思い浮かべると思うが、わたしには自衛隊の食糧配布を待つ民衆の姿しか想像できない。ライフラインは大丈夫か。タワーマンションの人は毎日水を組んで階段を昇り降りすることになるかもしれない。だって、送電網やエレベーターの保守は食料品の購入ではないから外出禁止されるのですよね。そもそもそれらに携わる人たちは電車が止まって通勤できなくなるわけで。

何を今更

感染者数が増えているとか、感染経路がわからない人が増えているとか、コロナが知られてから1ヶ月以上経ってそんなことを言う人がいる。そんなことは最初からわかりきったことではないか。
自粛ムードが和らいでいる、もっと危機意識を持て、という専門家の言葉を引用し、マスコミは恐怖を煽っている。危機意識ではなくて、やることをちゃんとやりましょう、と呼びかけるのが正しくて、怖がってストレスを溜めて体の免疫力を抑えるというのは馬鹿げている。感染爆発させた方がテレビの視聴率が上がり、雑誌が売れると考えているのではないかと勘ぐりたくなる。