ただの風邪だった

新型コロナウィルスはただの風邪、かもしれない

メジャーなニュースサイトで、ようやくまともな論説が読めるようになってきた。
統計的に分析すると、子どもの新型コロナウィルス感染はインフルエンザよりもリスクが小さいと。
まだわかっていないことは多いし、長期の後遺症については長期間経ていないからわからないというただし書きではあるが、死亡率という観点で比較ができたのだから十分ではないか。少し前だったらこの記事は炎上していただろうが、落ち着いて読んでいる人が少なくないのではないか。
こういうことを言うと、以前は「ただの風邪と言うな、テレビを見ていないのか」と言われたものだし、今も言われるのかもしれない。ただ、そういう人たちは経済崩壊の話を持ち出すまでもなく、コロナ回避のためなら健康は二の次であるという「人名軽視派」だと呼んであげないと自覚してもらえない。自粛だ自粛だと言っている人たちは、愛する人たち、周りの人たちのの命はどうでもいいと考えている一派なのである。世の中の常識と逆立ちしているかもしれないが、そのうち歴史が証明してくれる。
 日米戦争のときは、国のためなら命を捧げるという人たちがいた。特攻隊の人たちと自粛派を一緒にしたら英霊に失礼であるが、一点強調主義は混乱期には発生するということを生きている間に学べたことは貴重な経験だったと思いたい。
 仕事のためなら健康のことは気にせず這ってでも会社に来い、というのと、
 仕事のためなら健康のことは気にせず何としてでもコロナは遠ざけろ、というのと、本質は変わらない。何かその人にとって関心のあることに目を奪われて、あとはどうでもよくなっているということだ。コロナにかかると会社にいられない、遊んでいる人だと攻撃される、ということだけに囚われて思考停止している。
 新しい生活様式がなぜ守れないのだと言っている人たちこそが、実は新しい価値転換に対応できていない。

新しい病気は常に生まれている

 わかっていないことは多いという話に戻るが、確かに新型コロナウィルスについて語られる論説で確定的なことは何もない。ただ、わかっていないがゆえに、私達は全力で新型ウィルスを怖がらなければならないのだろうか。
 星空ではしょっちゅう新しい星が見つかり、自然界ではしょっちゅう新しい動物や昆虫が未だに見つかっている。同じように新しい病気というのはしょっちゅう専門医が見つけている。
 病気が病院で何でも判定されるものであれば、今どきのコンピューター時代は病名辞典が作られるだろう。カルテを作るときに医師がずっとパソコンばかり見ていて患者のことを見ていないという話があるけれど、病名辞典があるのであれば、医者は駅で切符を買うかのごとく、タッチパネルをピポパポと押せばカルテが作れるはずである。病名を選べば勝手に処方する薬も選択され、その場で処方箋を印刷できるはずである。しかし実際にはそうは行かない。論文はどんどん書かれて、どんどん新しい病気が見つかっている。それは感染症にも当てはまるし、また、感染症に限ったことでもない。
 薬については辞典があるけれど、どんどん新薬が開発されている。
 すでに世界のどこかで同じ病気を誰かが見つけたかもしれないが、病院の医師は神ではないので、自分が症例や論文で見たことがなければ新しい病気だと思うかもしれないし、実際に電子カルテには毎日どんどん新しい病名が書かれている。
 本当に新しいかどうかはどうでもよく、ここで重要なのは、専門教育を受けたり、臨床で経験を積んだりしている医師が「こんなものを見たことも聞いたこともない」と思っている事実である。医師が診断する「風邪ですね」は何が原因かよくわかりません、と言っている証だとも聞く。
 ここで「まあ、そうだよね。人間は無数の細胞でできていて、世界には無数の生物がいる。それらが組み合わさったら、無限の可能性が起こるよね。」と思うのか。
 それとも、「新しい病気なんて怖いなあ」と思うのか。
 怖がるべきではないとは思わない。生存への脅威に反応しないのは人間以前に生き物として問題がある。ただ、単なる生き物ではなく、文化的に生きる人間であれば「やることをしよう」と思って行動に移せばいいのである。怖がる時間があったらやることをする。自分が怖いと思う感情を無節操に周囲に広めることもやめる。
 新しい病気が蔓延しているから怖いという思いが強烈なのであれば、残念ながら新型コロナウィルスの特効薬とワクチンが開発されても変わらないので、それが怖いのであれば一日も早く、社会とは断絶し、自給自足の生活が可能な環境を整備したほうがいいと思うのである。実際、ステイホームなるものが盛んに唱えられ、隔離の準備をしようとしていたのが世界全体の流れである。
 「ただの風邪というのは暴論だ」という人は、そもそも、風邪でも人は死ぬということがわかっていない。新型コロナウィルスと同じ尺度で怖がったら、遥かに怖いですよ、と言いたい。ただ一方で、どんな疾患でも死ぬときは死ぬ。
 ただ、幸いなことに今流行っているのはコロナウィルスの一種であるという。新型に限らずコロナウィルスは手洗い、消毒をしていればそれなりにリスクを下げられるということがわかっているので、そうしたらいい、ということである。

マスコミは新たな刺激を探している

 2020年8月下旬になってくると、Go Toキャンペーンへの批判も薄れ、Go Toキャンペーンの悪影響を暴露した者も現れなくなった。
 一方で、マスコミは次の獲物を狙っている。最近はカラオケルームや学校などでの集団感染を探してきては記事にするのが流行っている。集団感染はあるよりはない方がいいけれど、冬のインフルエンザ流行期は数十学級が毎週のように全国で閉鎖されている。新型コロナウィルスはクラスター認定で学校閉鎖になるので比較は難しいけれど、安倍首相がオリンピック招致のときに福島第一原子力発電所について言及した「アンダーコントロール」という単語がまさにこれに当てはまるのではないかと思う。
 しかし、マスコミは「また」クラスターが!という。
 そして有名人の感染暴露。有名人がウィルスをばらまいたという話ではなく、有名人が陽性だったという事実をばらまく。病歴というセンシティブ情報の漏洩は、公共の利益のためとは思えず、自殺報道や犯罪報道と同様に人々に負のエネルギーを振りまいているだけのように思うのだが、一向にやめる気配を見せない。
 次は誰が犠牲になるのだろうか。