ネットは世論を形成できるのか

2011年1月1日の朝まで生テレビ。メディアがすでにネットよりも時代遅れになっていて、メディアの業界人が自己総括しても意味がない、という話題になった。田原氏は自ら取り組んできた、タブーを打ち破るプロとしての番組制作を否定されたと勘違いしてむきになっていたが、最後まで意味が理解できなかったようだ。
細野議員がネットの匿名性を指摘していた。またネットを使う世代に偏りがあるとも聞く。
匿名性については、匿名にすると無責任な投稿があふれたり投稿者の性格が変わるような気がする。これまで世論を作ってきた人は実名を出してきたか、専門家による考証によってやがては実名が明かされてきた。匿名では誰が発言をしているのかわからず本物の世論か疑いたくもなる。しかし20世紀の日本のサラリーマン報道は明らかに匿名報道と横並び報道だった。誰が意見しているのか怪しいと思っているのはマスコミ業界とマスコミを未だに信じている人だけだ。それが正しいかはさておき匿名でも世論は形成されてきたのは事実である。
世代の偏りについても一時的な問題である。すぐに問題ではなくなる。障がいを持った人たちにとって使いやすいコンピューターにする改善は引き続き必要だが、お年寄りにはコンピューターは使えない、とするのはお年寄りを差別している。本当に意見を言いたいならコンピューターを習得するのは苦にならないはずだ。
ネットの問題は2つだ。
ひとつは、新聞・テレビの時代も多少みられたが、自分の意見が自分で考えたものか他人の意見のコピーなのかがわかりにくいこと。ネットへの投稿は読むだけ見るだけのメディアとは異なり、自分でキーボード入力するのでますます混同が起こる。そして、同報も複製も簡単なので短時間で膨張する。個々の知見や経験の裏打ちもなく広まることさえある。誰も深く考えず、何となく思い込んでいるものを世論だというのは寂しい。
そして、多様化、細分化が進みやすいということ。みなが平等で好き勝手なことを言っていて、関心事も分散していて世論がまとまるかどうかは懐疑的だ。ネットから世論をすくった人がいたとしても一部の意見もしくは解釈に過ぎないと思う。解釈が間違っていたり元の意見をねじまげている可能性もある。それをネットの平均的中立的な意見であるかのように論評する人は危険である。
Twitterがもし実名公表ならまともな議論ができるというわけでもない。ネットの先進性を信じきっている人はネットをもう少し疑った方がいい。