田母神論文批評の批評

あらかじめ言っておくが、前幕僚長を何ら擁護するものではない。誤解しないでほしい。
今回の事件でいろいろな人が批評をしている。ハト派の人もハト派でない人も批評をしている。

  • 在職のまま政府見解に反するのはおかしい。
  • 在職のまま意見を発表すると軍隊の統率が乱れるという基本がわかっていない。
  • 制服組が政治に関与すべきではない。
  • アメリカにもけんかを売っている。
  • 部下にも投稿をそそのかした。
  • そもそも論文として体を成していない。

しかし、肝心の「濡れ衣」の部分は、ハト派の人たちが「右傾化」「保守化」と呼ぶように議論が分かれてきているにもかかわらず誰も説得しようとしない。そこが不思議である。日本は悪だからとやかく考えずに頭にたたきこめということだろうか。あるいは、KYだと言う人もいるが、周辺諸国が怒らないうちに空気を読めということだろうか。

帝国主義の時代にアジア各国で被害を受けた人がいた。その人たちはかわいそうだ。日本も戦争に加わったのである面では加害者になったり、別の面では被害者になったりした。

ここまでは議論の余地がない。

  • 帝国: 日本も当時は「帝国」を名乗っていた。当時の人が言っていたのだから間違いない。
  • かわいそう: 戦争で死んだり財産を失ったりするのは今も昔も悲惨なことで、当時と価値観が変わっていないことは確実だ。

ところが「侵略」という言葉は抽象的な概念である。他国の独立を侵すために武力行使すること、という定義は複雑なところはないはずなのだが、20世紀以降の新解釈として、イラク戦争チベット侵攻のようなものには使わないことになっている。また、世界史では世界大戦以外にもたくさんの戦争や国境紛争があるが、そういうものを、片方の側に立って主観的に「侵略」とは呼ばない。たぶん、世間で騒いでいる侵略と、国語辞典の侵略は違うのであろう。果たして、何を対象に侵略の議論をしているのか。
侵略は悪だということはいいが、「侵略は悪ゆえ、それについては全く議論の余地がない」という固定観念に縛られて、それは何かを思い起こそうとしない。それではまずいと思う人が戦争反対主義者にいるが、たまに出てくるのが、中国のねつ造写真だったり、ころころ証言が変わる韓国の慰安婦だったりで、きちんとした一次資料を出せないので、学術的な理論構築はあきらめるつもりなのかもしれない。でも、怖いよ悪いよひどいよでは、将来の戦争は防止できないのである。
そもそも、ハト派の人はきちんと侵略の定義を示さず、批判しかしない。このままだと、侵略の定義はこうなってしまう。

ある国の軍隊が自国外の領土に進出し、世界的なひんしゅくを買って撤退すること。

↑こんなことをしたかしなかったかで争っても仕方がないと思う。東京裁判のA級だって、いわゆる戦勝国から見てひんしゅくな行為をした罪ということになってしまう。指導部は、戦略を誤ったことによって国内外の人を死なせた罪を問われてほしいのだが。

  • 今は当時と時代背景が違うのだから、自分からは侵攻しない。
  • 人間は利害対立を生まないようにすることはできない。だから、将来の歴史家から侵略と言われる側に立たないように外交面で努力する。

というふうに単純に整理すれば終わる話だと思う。