もう新たに言うことはない

 小池都知事が、今度は5つの小と言い始めました。
 ヨーロッパ伝来の第2波の頃はやたら強気だったのですが、今は公の人は大きな声で自粛しろと言えなくなりました。それで、会食はいいけれどやり方を気を付けてねと言うようになりました。
 フジテレビはニュースで「基本の反復」だと解説しました。
 ニュースが新しいことを伝えなくなったら、newsではなくoldsです。そして、人に不快感を振りまくだけなのであれば、余計な言及はいらないのではないかと思います。

 そもそも、ウィルスの感染を生活習慣だけで人為的に制御できると考える方がおかしいです。神にでもなったつもりでしょうか。ウィルスが出る度に生活様式を変えたら、ウィルスは空気感染や水感染を狙ってきます。その時は防毒マスクや、水浄化装置を配るのでしょうか。
 ある程度感染が広まるのは仕方がないとして、受け入れ態勢を整えるだけなのではないでしょうか。それをしないから市民に呼び掛けて仕事をしたつもりになるのです。医療関係者を集めて会議をしている場面などがテレビで流されますが、あの会議をやったら何のいいことがあるのでしょうか。もはや、気を付けましょう、気を付けましょうとしか言わなくなりました。
 やがては収束するか、忘れられていくことが確実ですから、マスコミと政治家としては介入したくなる気持ちもわかります。使命感と自己肯定感が満たされるし、自らの手柄とすることもできるでしょう。鳥インフルエンザのときに、東国原宮崎県知事(当時)が奮闘されていたと思います。大量の殺処分などは必要なことだったと心の底から思いますが、あれを見た政治家たちは学んだのだと思います。

誰かを不幸にすれば自分は幸せになれると。

 他人の不幸は蜜の味というのは、マスコミだけの特権であり、政治家が同じことをすると批判の的にされるリスクがありました。ところが、感染症対策というのは、例外的に自分の権限で他人を攻撃できるのです。
 みんなにマスクをさせて、飲食店をつぶしていけば、確実に自分たちが幸せになれるのです。恨まれることを心配する必要はありません。

私たちは正義である。裁判されても負けっこない。

ただ、あまりにも実害が大きすぎるでしょう。