大阪の第3波は都構想のせいではない

 大阪でCOVID-19第3波に伴い赤信号点灯が宣言されたのを受けて、都構想に熱心で対策を怠ったからだという批判が起こっている。
 感冒の広がりは寒くなったからであり、ワクチンがない状態でも何か人間が対策をすれば感染を抑え込めると考える方がおかしいのであって、ましてやウィルスの上司でも部下でもない政治に対して感冒流行の責任を求めるべきではない。
 医者だって一般市民だって、寒くなればCOVID-19が再流行すると薄々感じていたわけで、いざ再流行した時点で維新のせいって言うのは単なるやつあたりだ。むしろただの風邪論者の方が「例年のインフルエンザと同じくらいにまで患者が増えるのは当然」と冷静に分析していて「今はインフルエンザはほとんど流行っていないし、COVID-19も例年のインフルエンザほどではないので、抑え込めている」というのがまともな発想だろう。もちろん、医療崩壊は残念であるが、政治ががんばれば風邪を抑え込めたと考える発想が信じられない。もし本当にそんなことをしたら、今よりもさらに経済を殺して自殺者を増やしてしまう。
 政治ができるのは予算を用意することだけであり、地方自治体には限界がある。国に7兆も予備費が用意してあるのに、それを取りに行かなかった医療業界と医療行政が責められるべきなのに、そこには批判が届かないようになっている。
 大阪維新の会が小さな政府を求めてコスト削減した結果だという意見も出てくる。しかし、医療の現場が主張しているように先般の医療崩壊は設備不足よりは人で不足であり、医療業界に人件費を投じているのは国の診療報酬の問題である。そして、医療行為ではないことに手間がかけている医療業界のカイゼン不足の問題である。
 呼吸支援を行うエクモを装着すると、患者にエクモ技術者が付きっきりになるという。監視をするのに必要なのは、患者の容態を判断する技ではなく、エクモの取り扱い技術である。エクモを付けていても容態が悪くなった場合の措置は医療従事者が行わなければならないが、なぜ機械の操作を医療従事者が行わなければならないのだろうか。幅広く医療の知識を持った者だけが初めて機器取り扱いができるという前提をおいてしまっているところがよくない。こうしてしまっているのは医療の免許制度である。患者の方が「先生に診てもらわないと不安」という固定観念を持っているのもいけないけれど、徹夜続きの現場がミスする可能性の方が高いような気がするので、本当に医療知識がないとできないこととそうでないことの分離はまじめに取り組んだほうがいいのではないか。
 看護師の仕事ももっと看護に特化すべきだ。外来の待合室で「○○さーん、8番の診察室にどうぞー」とやっているあれ、本当に免許を持った人がやる仕事なのか。遊園地のアトラクションの入り口で客の整理をしている人たちと変わらない。あんなことを高時給の看護師がしていて忙しいなんて理由になるのか。これを仕方がないと考えてしまうことが、本日の医療崩壊を生んでいる。
 医療の省力化が進んでいないというのは、中途半端なIT*1がむしろ合理化の邪魔をしている問題や、免許を持たない者に作業をアウトソーシングする工夫を怠っているという話であり、予算がなかったということだけが理由ではなく、慣習と既得権益から抜け出せないという問題でもある。お金もないし、壁も高いから改革する気が起こらなかったというのは同情する。しかしCOVID019により、頼めばお金を出してもらえる大義名分ができたのに、そんな日が来るなんて夢のまた夢と思っていたので、もしお金があったらどうしようかと考えることを怠ってきたお医者さまたちは、とりあえず重症患者のベッドをコロナ用にします!くらいなことしかできなかった。
 「来年までの限定でいいから、あの施設とそっちの施設を臨時コロナ病棟にしてください。そのかわり、うちの病院はコロナお断りで、平常営業させてください」
くらいのことを言えばいい。自粛しなさい、GoToトラベルやめてください、よりは随分と穏当で、現実的で、効果が提言になると思うのだけれど、他の権力からの圧力が怖く、一般市民に対して忍耐を強いることくらいしか言えなかった。そして、それが激しく、傲慢な呼びかけになってしまっているにもかかわらず、マスコミが「仕方ないよね」と問題意識を持とうとしない。
 そのうち、電力会社や交通機関、そして消防署や自衛隊も、「私たちの業界の不作為のため、一般市民が我慢してください」と言うようになるかもしれない。いつまで市民はしょうがないと言い続けるのだろうか。それともその都度、マスコミに洗脳され続けるのだろうか。
 コロナ禍は人災だけれど、責める先を間違えている人が多い。

*1:電子カルテ医療機関で連携できない件など