マスクは新しい生活様式なのか

新しい生活様式

 新型コロナウィルス流行を機に、新しい生活様式というものが掲げられた。
新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました(新型コロナウイルス感染症)|厚生労働省

感染防止の3つの基本

  • 人との間隔は、できるだけ2m(最低1m)空ける。
  • 遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ。
  • 会話をする際は、可能な限り真正面を避ける。
  • 外出時、屋内にいるときや会話をするときは、症状がなくてもマスクを着用
  • 家に帰ったらまず手や顔を洗う。できるだけすぐに着替える。シャワーを浴びる。
  • 手洗いは30秒程度かけて水と石けんで丁寧に洗う(手指消毒薬の使用も可)

(以下略)

句点があったりなかったりと、急いで作った感じが見られるが「日常生活の中で取り入れていただきたい実践例」とのことで、みんながこれを尊重している。
 新しい生活様式という言い回しは「今後ずっとこの様式を受け入れる」という意味にとられることがあるが、本当なのだろうか。
 全日本空輸は搭乗者にマスクを義務付ける。ユニクロがファッションマスクに参入する。だんだん、夏でもマスクしなさい、という圧力が高まっている。
 ここ数年、世の中ではかかとの高い靴やネクタイはやめましょうとやってきた。ここに来て街中ではマスクしましょうというのは、全員同じ格好をしないと許さないという社会に逆戻りすることを意味する。
 医療従事者がN95マスクをするとか、体調や宗教その他で顔を隠したい人がマスクをするということを否定するものではない。マスクをしている人を見てもなんとも思わない。ただ、症状がないにもかかわらずマスクをしていない人を汚らわしい目で見る風潮は好ましくないと思う。
 自粛期間中も外出するために都会でマスクをしている人の様子を見ていると、感染防止のためにマスクを正しく使用している人は実に少ない。マスクに素手でさわるし、鼻を出したり顎にかけたり。外したマスクを袋に入れずに机の上に置きっぱなしにする。つけない自粛警察に怒られるから付けているという人が多いのではないか。
 飛沫防止については一定の効果があるとされているが、飛沫を気にするなら接触感染も気にしなければならない。夏も手袋必須ということになるが、マスク信奉者も手袋については何も言わない。なるべくあちこち触らない、こまめに手を洗い、洗える場所では顔を洗うようにすれば、かぜの予防になると思うのだが、そういうことを言うと自粛警察に殺されかねない。

別のリスクのほうが恐い

 人間の呼吸器は猛暑でも常時覆うようにはできていない。熱をうまく外に出せずに熱中症で倒れる人が出てくると思われる。人口一千万都市でもはや日次数人発見される病気と、都市全体に降り注ぐ日射への対策、どちらを優先すべきなのだろうか。
 透明のサンバイザーを大きくしたようなものをしている人もいるが、マスクが必須と考えて、両方している人も見かける。夏にも続けるつもりなのだろうか。

リスク対策は増やすことではない

 世の中には様々なリスクがあり、時々新しいリスクが発見される。そのとき、対策をひとつひとつ増やしていったらどうなるか。我々の子孫は家の中でも防護服を来て生活するようになるだろう。リスクは増えていく一方で、減らせないと考えた上でゼロリスクを目指すべきだと決めてしまうと、わたしたちの暮らしはどんどん窮屈になる。ところが、マスク信奉者は新しい生活様式の受け入れは変化への対応力を持った、すばらしいことのように考えている。
 リスクは科学的に減らし、ある程度まで減ったら受け入れるというのがこれまでの人類の歴史で人類が選んできたことだ。
 やがて、ワクチンや治療薬が普及するだろう。これまで、風邪に対しては積極的にワクチン開発が行われてこなかったわけであるが、COVID-19に対してはパンデミックになったことを踏まえて世界中で開発競争が進んでいる。ウィルスも徐々に耐性を強めていくことになるだろうが、人類は一度薬の開発を始めたらやめることはない。
 原理的に薬の開発は無理ですとなるまで、コロナウィルスは新型、在来型を含め、かかったら寝て治しましょう、リスクがある人は薬を使いましょう、ということになっていく。というか、しなければならない。「絶対かかってはならない、かかったら汚らわしい」と考える発想は、生活の自由を奪い、息苦しい社会を作り出してしまう。

変えるべきところから変える

 コロナ騒ぎを機に、今までおかしかった部分は直せばいい。密閉空間で働かされる人。具合が悪くても通勤・通学をさせられていた人。意義もなく長い会議。空調フィルターの掃除ができていなかった施設。満員電車。
 冬に内科や耳鼻科に行くと、狭い場所に疾患のある人のそばで待たされる。行っても薬しかくれないのに、わざわざ病気をもらいに行くようなことも多かった。
 高いリスクや合理的でない行動を除去する取り組みは進めてもいい。ただ、日常においてもマスクはしなくてもリスクを受け入れられる水準に達しているのであれば、マスクをしない選択を社会が受け入れた方がいいと思う。

いつまで?

 まもなく首都圏でも緊急事態宣言が解除されると言われている。マスクはいつまで続くのか。

  • もう地方ではマスクなんてしていない
  • 解除されたらいいのでは
  • 1, 2ヶ月かけて徐々に減るのでは
  • 第2波*1が来るかもしれないので、当面は必要だ
  • 薬が出る1、2年後まで必要だ
  • いったん飛沫を菌のように嫌う思考回路は壊せないので、永遠に必要だ

様々な前提を置きながら、それを確かめ合わないで人々は議論している。ただ、新しい生活様式の信奉者にとっては永遠のことだと確定しているようである。

新しい生活様式に殺される人たちが想像できているか

 緊急事態宣言が解除されるとともに200兆円規模の歳出を行うという。真水の財政出動がいくらで、いつになるのかわからないが、自粛で殺されかけた人への保証は十分ではない。そして、これからは被害が発生しない前提になっている。
 政府は新しい生活様式を広めたいなら、古い生活様式産業の構造転換と再雇用策をまじめに打ち出すべきである。安倍首相はもともと再チャレンジの人だったはず。もうこれまでのお店が続けられない人の責任をとってほしい。取れないなら、新しい生活様式なんて嘘でした、と説明してほしい。
 ところが、これから新しい生活様式の名のもとに、対面、接触が前提のものがなかったものにされようとしている。猶予期間もなく、しかも、恒久的にそれをなくそうという人がいる。これまで非合法やグレーだった産業は仕方がないとしても、対戦スポーツやカウンセリングの類までオンラインで今すぐ切り替えましょうというのは無理がある。自粛の被害者は今後も発生する。
 それで生計を立てていた人たちはどうやって暮せばいいのだろうか。自粛警察が集まって再雇用基金でも作ってくれるのだろうか。政府は自粛警察をやってくれと言っていない。自粛警察の被害分まで政府が保証しろというのは合理的ではない。マスクしろと言うたびに自粛警察官が1,000円募金するシステムでも作ってくれないといよいよ困る。文句を言うなら金出せよ。それに尽きる。

*1:第2波の定義が不明。日本で流行したのはヨーロッパ伝来の第2波ではないかという説もあるが、これまで、いくつの波があり、そして今後あるのだろうか