役人の方々はやる気を見せることがなかった

 公共事業を行うのにあたって、自治体が説明会を開くというから参加してみた。
 表面上は特に問題のない説明がたんたんと行われていたのだが、自分の生活に影響があるかも知れないと思って聞いていると聞こえ方が変わってくる。口先ではぜひともやらせていただきたいとおっしゃってはいたが、はっきり言って全くやる気が感じられない。
 仕事をしているというポーズは見せたいことは痛いほど通じたが、この事業を完遂させて社会に貢献するのは少なくても私ではないと言っている。わたしたちは3年くらいで異動するのでその後は知らないということもなんとなく聞こえてくる。
 はっきり言って、そんな人たちに何十億も何百億もお預けするほどこの国の行政は豊かではない。

救いがたいギャップ

 休日出勤して公民館に現れた公務員の方々が伝えたいことは次のようなこと。

  • みなさんの税金で事業をしたいです。
  • 15年くらいすると、この事業によって喫緊の課題が解決されるかもしれません。つまり課題はすぐ解決すべきですが、解決する頃にはそれが課題であり続けるかどうかはわかりません。
  • やり方は2つあるんだけど、誰が決めたとは言わないがこちらで決めさせてもらいました。
  • 事業をやるには土地を買う必要があるのですが、認可されていないので法的権限がまだありません。でも、みなさんの意思は聞かせてもらいたいです。
  • ただ、何も決まっていないので何も教えられません。だから、みなさんは何も聞かないでください。

 参加している方が思っているのは次のようなこと。

  • 何か社会意義があるようなことを言っているが、わたしたちには関係ない。
  • 15年かけるって、どうかしている。喫緊の課題の方はどうするのか。
  • 最短で15年かかるって。誰が最後まで責任を取ってやってくれるの。そして、この土地に住んでいる年寄りは一人残らず死んでいるだろう。
  • 何も決まっていないのをいいことに、何も説明しない。何のために住民を呼んだのか。
  • 自分が土地収用や移転にさらされるのか正確に教えてくれない。これで何を理解しろというのか。

 この国は歴史があり、何百年も全国各地で公共事業をしてきたはずである。国民主権の民主国家になってからも久しいが、ここまで相手と共通点を見出さないままコミュニケーションを始めるのは何の作戦だろうか。例えば、仕事が面倒なので反対運動を起こして事業を潰してほしいというのであれば筋が通っているが、もしそうなら正気とは思えない。こんな風にやったらよくないということを過去の事業から何も学んでいないのか。
 そして最後は「ご協力願いたい」といっておきながら「この後、別の場所でも説明会があるから」とその場から逃げようとしている。
 どうも、理解してもらおうということではなく、説明会を開催しましたという実績だけが欲しいようである。

課題を放置

 その事業予定地では宅地開発が進んでしまっている。ところが、役所では事業認可が取れていないから、これから役所が買い取りをする土地に家が建とうとしていても何もできないんですって。少しだけ土地を買って「近くで事業を始めます」と看板を立ててみるとか、転居届を出しに来た人に「これから住むのはかまわないですが、事業用地になっているので移転してもらうかもしれませんよ」と通知してみるとか、条例を作って、事業用地を取得しようとする人からは告知した旨の書面を作成して自治体に提出させるようにするとか、がんばればいくらでも移転交渉を複雑化する原因はなくせると思うのですが、私たちは事業をする係で、事業用地に家を建てるのを防止する係ではないと本気で思っているらしい。つまり、事業をするというポーズだけ見せておいて、その事業のリスクは放置するという態度が許される役所なのである。
 認可が下りる前に余計なことをすると、仕事の邪魔をするクレーマーにつきまとわれたり、訴訟を起こされたりするという自分に対するリスクを最大限考慮したいのはよくわかる。次の人事異動まで無事に耐え忍びたいという気持ちもサラリーマンとしては理解できる。
 でも、その事業をするポーズだけ見せるというあなたの仕事に何百億も払うのはもったいないし、あなたの給料年間数百万も同様にもったいない。お金が絡まなければ同情するが、税金を使ったサボタージュであることがここまで明らかさまだと、釈然としないわけである。

早くやれないの?

 こんな調子だと地権者は誰一人納得するわけがなく、15年ではなく、たぶん30年くらいかかると思う。この間の人件費が実に惜しい。担当者5名×年収800万×30年=12憶を、事業に反対する人20人に6千万ずつくれてやった方が、早く事業は終わるし投資効果も高い。担当者の方々も土地買収交渉を長々続けるよりももっと楽しい事業に加わった方が公務員としてやりがいを持って働いてもらえるのではないだろうか。選挙もお金がかかるが、公正な公共事業というのもやたらコストのかかるものだ。