裁量労働制

裁量労働制を会社対労働者の対立構図で論じる人が多いが、今回は高年収の従業員と、労働組合が認めた従業員が対象と言うことだから、要は平均年収が高い業界を想定している。この施策は、要は深夜までこき使われている若者の残業代を取り上げて年配の賃下げを回避しようという作戦である。ネットの発言を見ると、有名人ブロガーでも会社勤めをしていなかったり、過去の大企業に勤めていたかもしれないが今を知らない人から「会社に甘えるな」とか、「嫌なら会社を辞めろ」とか「嫌なら残業を拒否して帰れ」とか、「生活残業なんておかしい」とか、「時間で評価してもらうなんて時代に合わない」とか的外れなことを言っている。
賃金に限って言えば、昔も今も、正しい人が評価されるわけではなく、うまく取り入った人がこっそり評価されるというのが現実である。年配は若者から賃金を奪おうとするが、若者全体から反感を買ったら自分のやりたい仕事の実働部隊を組めない*1し、会社にいられなくなるから自分の子分を作ろうとする。だから、若者が会社に優遇されたければ誰かの子分になるというのが手っ取り早いのである。それを助長するのが生活給から成果給への道であり、定期昇給や残業代の撤廃である。上司に染まった考えを持つ集団でも業務に差し支えなければ会社としては都合が良い。ただし従業員の多様性や創造性はあきらめなければならない。
従来の雇用体系が日本式もしくは社会主義的、新しい雇用体系が欧米式もしくは資本主義的、とか言っている人は何もわかっていない。日本的な労働者保護体制から、日本的な裁量労働に変わるだけである。
問題なのは、お金のことではなく、会社が従業員の残業に興味を持たなくなること。「過労防止のため、出退勤の記録はつけましょう」とされていても、コストに関係ないのだから誰も管理しなくなる。記録を管理するプロセスは維持されても、形式的なものになる。上司が部下の作業量を理解しなくなるということにもつながる。年配が若者から給料を搾取することよりも、年配が若手を気にかけなくなる構図がますます進行するということだ。
人を評価するというのはとても難しいことだが、遅くまで残っているというのはいろいろな要素を含んでいる。家庭に戻りにくいとか、昼間怠けているとか、仕事が遅いとか、時間外に勉強しているとか、周りの仕事を拾っているとか、残業を断れない性格だとか、人それぞれだが、その人となりをつかむヒントになるものである。朝早く来ているとか、夜遅くまでいるということを把握しない組織というのは、従業員個人に対して興味がない組織である。上司だって、自分の次の仕事と居場所を見つけることに精一杯で、若手の育成や管理に気を配る余裕はないかもしれない。熟練従業員が若手に対して自発的もしくは組織的に行ってきた知識移転が減り、暗黙知が散逸するリスクがあるということだ。

*1:若者がやるような雑用まで自分でしなければいけない