がんばれニッポンやりすぎ

スポーツの国際試合映像は昔も中継されていた。
最初の東京オリンピック以来、日本がメダルラッシュに沸くことがなかった時代においても「世界最高のプレーが見られるから楽しいんだよね」と、半分負け惜しみのようなことを言いながらも、お行儀よくテレビ観戦がされていた記憶がある。
例えば日本がワールドカップに行けなかったころのサッカーもそうだし、F1中継もそうである。

そこそこ強くなり、日本が出場している国際試合が増えてきた。
ワールドベースボールクラシックのように優勝してしまう競技もある。

放映料が高騰してもテレビで観戦できることはすばらしいが、番組づくりは変わった。
「世界最高のプレーが見られるから楽しいんだよね」はどこに吹き飛んでしまったのか。
日本、日本、とにかくニッポン。がんばれニッポン、負けるなニッポン。
国際試合なのに、日本のことばかりはやし立てる。

愛国精神もいいのだけれど、落ち着いて、かつ、公平に対戦試合を見られないものだろうか。
日本人と外国人が戦って、外国人が勝ち、日本人が負けた。
負けた負けた残念悔しい、じゃなくて、まずは勝った選手におめでとうはないものだろうか。

評論家が、試合の中身について論じようとしても、アナウンサーや番組演出が全部覆い隠してニッポン、ニッポンにしてしまう。
顔を映し、声を聴き、生い立ちやエピソードで時間を埋める。
埋めると言えば、しゃべるしゃべる。アナウンサーがしゃべり、評論家まで絶叫する。スタジオに戻せば司会がしゃべるし、芸能人まで何か無理やり言おうとする。
物語を伝えたい。感動を伝えたい。

違う。

テレビに求めているのは試合の映像と、生音声である。

これからAIも入るし、コートマッピングも入るし、CGも入り、VRも入るだろう。
情報過多である。もう少しシンプルにしてほしいな。
落ち着いて観戦できないよ。