サマータイム

サマータイムへの批判が繰り広げられている。
ひとりひとりの仕事や生活の事情を挙げればきりがないので、ここではマクロの視点で考えたい。
体内時計が乱れるという懸念については、多くの人が海外渡航で時差ボケを経験しているのだから、体が弱い人だけ今までの時間で生活すればいいのではと思う。あまり気にしない。
ITには西暦2000年問題のような特別体制が短期間で2回発生することになる。特別体制とは、普段よりも入念に処理状況を検査したり、何か不具合があっても技術者がすぐに修復できるように出勤して待機したりすることだ。現場の疲弊が気になる。
ある与党議員が、時計合わせはなんとかなるといっている。都心では深夜1時に終電、早朝4時に始電が走る通勤電車において、夏時間切り替えの日は1時間に縮まるのは気になる。切り替え日は銀行証券が休める週末が選ばれると思うが、コンビニエンスストアや仮想通貨の取引所には休日がないから営業しながら切り替えなければならないかもしれない。それでもやれと言われたら現場はなんとかこなしてしまうのだろう。
誰が費用負担するのかはわからない。今は元号増税対応もあり、品質低下も怖いが、自分でコントロールできることはなんとかやりきるのではないか。うるう秒対応など、細かい調整は経験してきていて、そのための機能は存在する。
問題は時計合わせではない。
システム間連携は2000年よりもはるかに進んだし、企業間連携や国際接続も増えている。連携相手から誤った時刻のデータが来たり、時差のあるデータを受け取ってもらえなかったりしたらどうなるか。来ると思っていたデータが2時間遅れたり、来なかったりすることも考えられる。
時計合わせが終わればいいというわけではなく、その後もしばらく気が抜けない。オリンピックを観戦している場合ではなくなる。
自分のお腹の中についてはなんとかするけれど、相手の挙動まで責任が持てない。現場はそう考えるだろう。相手を信用できないことを前提に受信データを1件ずつ確認するべきだろうか。件数が多かったら無理だ。

 さあどうする