性別の選択

 Yahoo! IDを取得する際の性別の選択肢が4つになったとのこと。
(掲載当時、about.yahoo.co.jpへのリンクを貼っていたが、現在リンク切れ)

  • 男性
  • 女性
  • その他
  • 回答しない

そして、基本4情報を後から変更できない仕様の事業者も少なからずいるが、Yahoo!は性別の再選択を可能とするそうだ。
 2択から4択に増やしたことはダイバーシティにふさわしいと思うが、新たな疑問が出てくる。
 この4択の情報を取得した事業者は、この情報を何に利用するのだろう。

事業には使えない

 戸籍上、生物学上、外見上、精神上の性別が一致しなくなり、外見上の性別と、個人が登録した性別が異なる可能性が出てくるのだから、例えば男物の衣類を販売する店はこの情報を利用できない。これまでは、戸籍上と生物学上の性別が一致するという前提だったから、常時性別は固定だった。でも精神上の性別が加わってくれば、ある時は男性で、違うときには女性になるかもしれない。性別をB to Cで利用するのであれば、事業者側が「わたしたちと接するときにはどちらの性別でふるまいますか」と再度聞かなければならない。よって、Yahoo!のような業者があらかじめ性別を取得する意義が薄れてくる。

個人を識別するときにも使えない

 同姓同名の人を識別するときは生年月日や住所を組み合わせて使うべきだ。性別が役立つ場面を想定しにくい。
 役立つ例外も論理上はありうる。ある母親が同じ日に双子以上を産んで、2名以上に同じ名前を付けるという可能性は極めて低い。出生が異なるが同姓同名同一生年月日の2名が知り合い、意気投合して同居を始めたとき、同姓同名、同一生年月日かつ同一住所となる。このとき片方が男性を選択し、もう片方が女性を選択すれば初めて性別で識別する意義が発生するが、この2人に対して、いったん名乗った性を変更してはいけないという制約を課すことになり、平等ではなくなる。
 個人を識別する手段として性別は不要なのではないか。

すると、なぜ入手したがるのか

 使う必要のない情報を入手するのは、個人情報保護の観点から好ましくない。個人情報管理者は個人情報の用途を明確にした上で取得することが好ましいからであってその裏返しである。

今回はこの2項目を追加しますが、最終的には性別項目自体がなくなることが一番シンプルだと考えています。

シンプルというか、必須ではないか。

あえてあいまいにすべきではない

 主に生物学上の分類で、本人の意思にかかわらず決定していた性別。これが、本人の意思によって自由に選べたり何も選ばなくてもよくなったりするようになった。ここまでは理解できるが、自由に選べたり、何も選ばなくてもよくなったりした情報を集めるというのが一般的になるのはいかがなものかと思う。
 健康診断を行う団体(学校や健康保険組合など)は、生物学上の女性特有の病気の診断を行うときに、聞く必要がある。また、制服を作成するとき外見上の性別の希望を聞く必要がある。このとき聞いた情報は目的と一致していて、その時点では正確である*1
 性別は目的が生じたときに、その目的だけに使用するものとしてこっそり聞くという運用が正しいのであって、IDを取得するときに基本4情報のひとつだからといって当たり前に尋ねるという姿勢は関心できない。個人識別子を個人が自由に変更できるというのは不正を招く。例えば戸籍、生物学、外見、精神のすべてが男性である者が、登録上だけ女性に変更して何かを行ったにもかかわらず、「わたしは生まれつき男であって、この登録されている者とは別人である」と事後否認したらどう取り扱うべきか。「あなたは男性(女性)か」と聞くのはセクハラである。
 個人で自由に選べて変更できてしまう情報をなぜ識別子に使うのか。氏名、住所も変更可能だが、本人確認書類が存在し、本人が登録を望むのであれば何も選ばなくてもよいという状態にはならない。性別は戸籍や住民票に書いてあるが、その記載にかかわらず、異なる登録をしてもいいし、登録しなくてもいいとしている。
 性別情報を保管していも、使用するたびに確認が必要だ。つまり、何かあるたびに「あなたは男性ですか、女性ですか」と聞かれることになる。心と体が一致しない人がそれを希望するのだろうか。回答はしたいが周りに聞かれたくない人のために新たな配慮をすることになるのか。

  • 登録された情報に基づいて、勝手に現在の精神上の性を決定されてしまう(従来方式)
  • 登録された情報にかかわらず、毎回性別を確認する
  • 生物学上の性別だけはあらかじめ登録しておき、生物学上の性別を業務に使用するときはあえて聞かない

 心と体が一致しない人の意見を聞いてみたいものである。

*1:時が経ってからあとでカミングアウトしたくなって性が変わるということはあるかもしれない