仏の顔も三度撫づれば腹立つる

自民党石原伸晃衆議院議員が、総選挙を経ずに首相が何度も代わっていることについて「仏の顔も三度まで」と何度も言っているそうである。Wiiニュースチャンネルで、日テレNEWS24の配信*1を読んだ。何度も言っているのだから、中川前財務相のように酔っぱらった勢いで発言したり、単なる思いついたりしたのではないことがわかる。

今は何度目?

自民党総裁の任期が2期6年だったことは小泉総裁時代に変更されて知られていることだったから、小泉→安倍の禅譲は問題にならなかったと仮定しよう。
前回の総選挙後、突然の交代と騒がれたのは

  1. 安部→福田
  2. 福田→麻生

過去2度あった。野党やマスコミは、小泉政権の次から数えるだろうから、小泉→安部も含めて、過去3回あったと思っている。しかし石原さんは自民党の要職にある人だから、安倍政権誕生前に総選挙をすべきだったとは本音でも建前でも思っていないだろう。

仏は何度目で腹を立てるのか

「仏の顔も三度まで」とは言うが、この慣用句は無礼なことをしても許されるのは2度までですよという意味だ。そして、3度までやったら腹を立てられますという意味だ。
 ここで、配信を引用させていただくと、

きのう*2も3つぐらいの会合に出させていただいて、若手の方々が動揺している声があるが、これも何度も言っているように“仏の顔も三度まで”と。

と石原さんは語ったそうだ。これに日テレが解説をつけている。

仏の顔(首相を代えるの)も三度まで

と、カウントする対象は突然の交代ではなく、禅譲も含めた首相交代としている。そして、石原さんにインタビューしている映像に

総選挙を経ずに4人目の首相が誕生することは国民の理解を得るのが難しい

という字幕を入れてテレビ放映している。

誰かが日本語を勘違いしている。

わたしは、誰かが

「仏の顔も三度まで」→→ 3度まで許される、4度目は許されない

と勘違いしていると思った。
【仮説1】
現代の日本語では、「仏の顔も三度まで」は3度目も許されるという用法である。わたしが日本語を知らない。
【仮説2】
正しい用法通り、許されるのは2度までだが、麻生政権も誕生させてしまった。麻生政権の誕生はすでに国民に理解されていないが党内事情もありやむを得ず総裁選挙を行ってしまった。次こそはどう言い訳するのか思いつかない・・・というのが石原さんの主張であった。ただ、短いニュース報道の中ではそこまで表現しきれなかった。
【仮説3】
石原さんは、過去2度にわたって突発的な首相交代が行われたので3度目はあってはならないと思って発言したが、日本テレビの記者が日本語を知らなかった。だから、4回目であることを強調するような解説をつけた。日本テレビには「みぞうゆう」や「平成廿十一年」を批判する資格がない。
【仮説4】
石原さんは、過去2度にわたって突発的な首相交代が行われたので3度目はあってはならないと思って発言したが、日本テレビの記者はそのまま報道すると、正しく理解できない視聴者から「小泉以降は4度目だろ」と抗議を受ける可能性を心配して、4度目と解説を入れた。
【仮説5】
石原さんが慣用句を誤解し、3度目も許されると解釈していた。日本テレビ日本テレビの先輩記者でもある石原さんをかばうこともなく、そのまま報じた。
【仮説6】
ころころ首相が代わりすぎて、福田さんあたりの存在を忘れていてカウントし間違えた。


・・・など、いろいろ想像が膨らむが、とりあえず、日本テレビは責任を持って

麻生政権誕生で3度目と数えるべきであり、すでに国民は理解していません。そう思いませんか?

と聞いてみてほしい。

*1:2009年2月20日 19:58

*2:2009年2月19日