なぜIT投資が行われるのか

 商業用途のコンピューターが行っている計算は、人がやろうとすればかわれないことはない。ネットワークが大事だというが、電話やFAXがあれば離れていれば情報交換できなくはない。
 でもやはりコンピューターが使われるのは、人の訓練が大変だからである。コンピューター・システムの耐用年数は短いと3年*1。新卒採用の事務員が3年で退職したら同じであるが、人間の場合は覚えた業務ノウハウも一緒に消えてしまう。コンピューターの場合はお金でノウハウを移植できる。
 人間は自分が把握している範囲は比較的ものを管理することができるが、人が作ったものは人が管理しているものを把握するのをあまり得意としていないらしい。情報が増えたからITが必要なのではない。人が作った情報が増えたからITが必要なのである。
 情報が多いと管理しきれないと言ったらそんなことはない。比較的大きな図書館の所蔵目録や、IT化されていない病院のカルテ置き場は紙でも十分管理されている*2。ただしこれは、図書コード順だったり五十音順できちんと並べられている。ITに携わる人は「インデックス(索引)が張られている」という言い方をする。ただ、みんなで情報を入れると、この索引がばらばらになるのである。例えば、売り上げ成績を集計するとき、

  • 日時、曜日
  • 品目
  • 営業担当者

など、いろいろな索引付けの方法が考えられる。この索引付けを担当者が勝手にやっているとほしい情報がうまく取れない可能性がある。部首索引で漢字字典を引こうと思ったら、部首がわからなかったときのような気分である。コンピューターを使えば、使い方に合わせて索引付けを定義してから登録をするし、専門のソフトウェアを使えば別の索引でデータを並び替えることもできる*3。人が作った情報でもうまく共有できるというのが大きな強みである。
 情報化投資の目的として、いろいろなことが言われるが、商業用途についてはつきつめれば、人の問題と情報整理の問題のどちらかに集約される。処理時間が短いかどうかは、直接画面や出力帳票にふれる作業者の都合であって、情報化の本質とまではいかない*4
 さて、単純な作業をコンピューターに置き換えただけの仕組みや、情報を入れたまま何もしなかったり、情報を入れるのが仕事になったり、入れた情報を定型的に出すだけだったりするシステムがあったとしたら、それは本当に人を置き換えるだけの必要性があったのだろうか、という疑問が出てくる。
 必要性なく省かれた若者・・・それはニートになって自室にこもってパソコンと戯れていたりするかもしれない。コンピューターは、ニートを社会から追い出し自室に縛り付けているのだとしたら、少し怖いなあ。

*1:ハードウェアの部品はあるが、ハードウェアよりも先にソフトウェアが時代遅れになってしまう。Microsoft Windowsが「・・・3.1→95→98→Me→2000→XP・・・」と、ころころバージョンをあげたのが有名だが、古いバージョンは

*2:無造作に積まれた紙の束から瞬間で目的のカルテを取り出すのを見かけた。神業だと思った

*3:ただ、数時間から一晩かかることもある

*4:従業員の作業を効率化するだけなら、従業員の扱う情報を減らすという方法もあり、必ずしも情報化が必要と言うことには鳴らない。ただ、使う人には大事であるが