いじめはリスクである

数年に1回、いじめ問題ブームが起こる。いじめは永遠になくならないものであるが、いじめに苦しむ子供が社会に認識されるかどうかはブームのさなかにあるかどうかで決まる。
ただし、情報化の進展により、記録に残す方法、反撃に出る方法が整備されてきたので、これからはいじめ防止教育も変える必要があると思う。
当然、いじめがよくないということはこれまで通り伝える必要があるが、いじめ行為が人生を狂わすリスクも教えてあげた方がよい。覚醒剤防止教育と似たような性格のものである。
コンピューターのバーチャルな世界との混同により、気軽に人を傷つける者が出てきた。携帯電話などのツールで気軽にいじめを行う者が出てきた。誰でもいじめっ子になれる。入り口は本当に簡単なのである。一方で、いじめられる側も簡単にその証拠を残すことができるようになっている。いじめられた側が求めなくても情報化社会によって情報は残る。隠しても出てくる。どこからか漏れる。クラス全員、学年全体、教師を巻き込んで告発させない雰囲気を作りあげたとしても無駄だ。社会はそんなに狭くない。
いじめる映像をいじめた側が録画してインターネットに公開するというのはどういうことか。情報教育がなっていない。いじめの他にも「今日、万引きしちゃいました」のような犯罪自慢もあるが、なぜ恥をさらしたいという心境になるのか。心理学者にはぜひ研究対象にしていただきたい。
いじめた事実が明るみになったとき、今度はいじめていたつもりが日本中からいじめを受けることになる。大津の事件のように実名をさらされ、住所、家族構成のすべてがさらされる。その時点から「いじめた」という事実が一生離れなくなる。いじめというくだらない行為で、将来を台無しにするかもしれない。どうしてそんなことができるのか。
今年のいじめ問題ブームの特徴は、いじめ事件の不満のはけ口が教育委員会になっていることである。いくつかの事件で教育委員会の対応が悪かったからである。しかし、やがて教育委員会制度は解体される。そもそもいじめたのは教育委員会ではない。次のいじめ問題ブームのときは高い確率でいじめた者に社会の糾弾が集中するのではないかと思っている。「いじめた少年Aは」と毎日ワイドショーでやられる。自殺するまで社会は許してくれないかもしれない。
始めるのは簡単だが、いじめっ子でなくなるのは相当難しい。自殺するまでいじめっ子だと言われていじめられる。こんなつらいことはやらない方がいい。