なるほど

 久しぶりにケーブル・テレビをつけたら、朝日ニュースターで、超サタディないと「葉千栄のNIPPONぶった斬り」という番組をやっていた*1
 6月11日夜は「『靖国問題』とは何か!?」である。
 国会議員はだらしなくて、存在感を発揮していたのは韓国人と司会の中国人である。中国政府と韓国政府はどうしても好きになれないが、日本の宗教の問題をまじめに考えてくださるふたりにはありがたいやら申し訳ないやらどう表現したらよいかわからなくなる。
 葉先生が「東京裁判についてはパル判事を引き出すまでもなく同情する」と言い、姜尚中先生が「英霊*2に哀悼の意を表する気持ちは理解できる」と言う。さらに頭が混乱する。二人は靖国反対派の急先鋒ではなかったのか。日本世論に迎合しているのかとも思ったけれど、きちんと筋の通った説明してくれたのでよくわかった*3民主党言ってはいけないが、お二人の先生だけは「首相よ、靖国に行くな」と言うことを許す。
 しかし、戦争観や歴史観について

  • 靖国神社が間違っているのであって、靖国神社の主張は日本人の総意ではない
  • 日本人の気持ちは靖国神社の見解とは一致していない。

というのは受け入れがたい。日本人のところを「社民党」に置き換えればそうなのかもしれないが、俗世の人間と宗教との間で、意見が同じか違うかを考えること自体がナンセンスである。日本人は伝統的に、ムラ社会に悪影響がなければどのような宗教でも尊重してきたのである。靖国の主張がいいか悪いか、はたまた同意するか不同意かなどということを考えながら参拝をしているわけではないのである。
 他のアジア諸国から見れば侵略だったことも、日本の当時の立場からしたらやむを得なかったことも、当時の帝国主義の常識から言えば普通の進出行為だったがもちろん現代の価値観では許されることではないことも、謝っても未来への進展がないこともすべて複雑に合わせ持って受け入れているのである。宗教はここまで複雑なままに教義が存在することを許さないだろうが、日本人の心はここまでの複雑さを受け入れざるを得ない。
 これこそが反省をしている証拠である。ひたすら感情を単純化すれば嘘になる。「ごめんなさいを繰り返し、最後にはごめんって言ったからいいでしょと開き直ってしまうのは反省ではない」というのは反日派の弁だが、では100%罪悪感にさいなまれてひれ伏すのが反省かというと、これは口先だけの反省よりもさらにたちが悪い。
 ちなみに、葉先生は、サンデープロジェクト日曜討論みたいに幅広く人を集める必要はない。視聴者がじっくり話を聞くには3人、司会者も意見を言いたいなら司会者とは別に2人程度が限界である。本でも対談や鼎談は読解できるが、5人も6人もいたら全員の意見を理解するのは無理である。

*1:http://www.asahi-newstar.com/newstar/program/pg_super_nippon/index.html

*2:ここではA級戦犯は含まないのだろう

*3:テレビ朝日(地上波)の討論番組では時間がなくて「国益を考えて行かないべき」と言うしかなかったのだろう