最後の非関税障壁

 人手がかかる産業は、いまやほとんど海外に奪われた。古着を輸出し、海外で人手をちょうどいい大きさに切りそろえ、日本に逆輸入したりもするという。そこまでして外国人の手を借りたいかと思う。それほどまで日本人の労働力は割高なのだろう。日本人は何で稼いでいけばいいのだろう。
 日本人の雇用を海外に奪われる歯止めになっているものは、長年、言葉の壁だとされた。ところが、今では日本人向けのコールセンターが海外にどんどんできている。日本人と流ちょうに応対し、日本語キーボードで仮名入力をするのは移住した日本人ではなく、現地人だったりする。いくら成長が鈍化したとはいえ、大きな市場があるとわかればコミュニケーション・ギャップくらいは乗り越えてしまう。
 それでも、核心を海外に渡したくないと考える日本人の思考は変わらない。空港運営会社への外資規制問題では、「悪い日本人だって、日本のことを考えて行動する外国人だっているのに、どうして一律に外資だけを封じるのか」という疑問に国土交通省は答えぬまま封印してしまった。セキュリティ問題を表に出そうとしていたようだが、羽田に関して言えばお土産屋さん管理会社でそれが論じられたのは滑稽だった。
 コンピューターのシステム開発は、論理上は海外に拠点を移すことも可能である。海外の作業の成果を日本にあるコンピューターで動かすにあたって、国際通信回線の容量が心配になるが、リモート操作技術も向上している。汎用機やUNIXだけではなく、Windowsだってリモート・コントロールが当たり前の時代である。毎回最初から顧客の話を聞いて作るのではなく、以前作った経験や、汎用的なプログラムを利用するから、日本とビジネス習慣・商習慣が異なっていても問題ないとされる。日本語の壁が薄くなったことは上に書いた通りである。
 ところが、「作ったプログラムを外に持ち出してはならない」「顧客のデータが漏れたら困る」そしてなにより「あの国の人間には作らせたくない」「会ったこともない海外の人間は信頼できない」という考え方が、システム開発拠点を東京にとどめている。ネットワークを通じて外国からコンピューター通信するには技術上の制約がない。ところが、建物の入口でカメラつき携帯電話やUSBメモリーの持ち込みを厳しく禁止しているのに、ネットワーク回線がつながっていたら、何の意味もなくなるということで、開発依頼企業(官庁)は海外拠点の利用に拒否反応を示す。
 以前の開発実績や、安い海外労働力を活用できた方が安いに決まっているが、それが難しい。開発依頼企業は「機密の持ち出しは困るが、ノウハウの持ち込みは歓迎」と言うだろう。しかし、ノウハウを紙に出力して持ち込んで、それをまたコンピューターに入れるとなると、持ち込む行為だけでも大変な労力となる。外国人を日本の開発拠点で使おうにも、渡航費用やビザ、滞在費用に宿泊施設を用意するとなると日本人のコストとあまり変わらない。
 セキュリティや信頼感が、最後の非関税障壁となって残っているが、これが数年後にどうなっていくかはわからない。