あいちトリエンナーレ補助金不交付は検閲ではない

2019年9月26日、文化庁報道発表。
www.bunka.go.jp
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/__icsFiles/afieldfile/2019/09/27/a1421672_01.pdf
あいちトリエンナーレに対する補助金を全額不交付とし、その理由が説明されている。
これに対して事後検閲だとの批判があるそうで、放っておくと確信勢力の教科書に載ってしまうので資料をアーカイブしておこうと思う。

文化庁はどう説明したか

補助金申請者である愛知県は,展覧会の開催に当たり,来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず,それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した上,補助金交付申請書を提出し,その後の審査段階においても,文化庁から問合せを受けるまでそれらの事実を申告しませんでした。
これにより,審査の視点において重要な点である,①実現可能な内容になっているか,②事業の継続が見込まれるか,の2点において,文化庁として適正な審査を行うことができませんでした。

事実の申告漏れが審査妨害にあたるという趣旨だ。内容については不交付の理由としなかった。官僚は丁寧に理論がためをしている。

閣僚はどう説明したか

9月26日産経ニュース

菅義偉(すが・よしひで)官房長官は26日の記者会見で、文化庁が愛知県内で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」に対する補助金を交付しないと決定したことについて「国民の税金でまかなわれている補助金だ。文化庁が事実関係を確認した上で適切に対応することは当然だ」と述べた。

安定した答弁である。
9月27日産経ニュース。

萩生田光一文部科学相は27日の閣議後会見で、文化庁による補助金を全額不交付とした理由について、「本来、(主催者の県が)予見して準備すべきことをしていなかった」と説明。判断する上で展示内容は無関係だったことを改めて強調した。

ここは政府答弁として安定している。ただし、

「県の申請書類の内容と実態に乖離(かいり)があったので交付を見送った」と説明。その上で「今回のことが前例になり、大騒ぎをすれば補助金が交付されなくなるような仕組みにしようとは全く考えていない」と語った。

この説明は誤解を生む。9月26日朝日新聞デジタルでも、

申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」として、

と書かれ、見出しも

羽生田氏「展示。申請通りでない」補助金不交付を表明

と発言を切り取った。
今回の開催妨害の脅迫は自ら招いたことだと思われるし、警察にも事前に相談までしている。だが、本当の意味で偶発的な不可抗力によって企画が中止になったら、申請者が悪いとして補助金まで引き上げるのだろうか。

  • 補助金を申請して展覧会を行った。
  • 申請したとおりに、展覧会に国宝を飾った。
  • しかし、不届きな者が工具を持って会場に乱入。
  • 運営側は、安全を最優先し、犯人を制止しきれなかった。
  • 犯人は工具を使って国宝を保護していたショーケースを壊し、中の国宝も壊した。
  • 国宝の保全のため、展覧会場から撤去した。

すると、この場合でも、文化庁補助金を事後不交付することになる。国宝●●を展示するとしておきながら、実際には展示しないことにしたから、申請と実態が異なってしまう。乱入者以外でも、例えば記録的な大雨による浸水でも同じである。文化庁はこれらのようなことは意図していない。どのような不可抗力があろうと展示の完遂を求めるのは補助金申請者に酷である。
補助金を得られても、補助金交付を確実にするためのリスク対策費用が高くなってしまい、補助金の意味がなくなってしまう。例えば、文化庁補助金が、事業主催者に残らず警備会社や損害保険会社にそのまま流れ、他の業界に対する補助金になってしまう。これは革新勢力が主張する「補助金もらうなら政府に忖度」というのとは違う問題である。
ただし、反権力キャンペーンを進める上で、モリカケ疑惑大臣から問題発言を引き出そうとしたものの、ここまでが限界であった。

検閲か

今回は誰も展示を禁止されていないし、展示したことを理由に逮捕されてもいない。
検閲したのと同じ萎縮効果があるとして検閲だと批判する人がいるが、それは無理があると思う。ネット界隈で指摘されているように、やりたいなら自費でやれ、それに対しては行政は介入しない。ただそれだけである。
国費、公共施設を使おうとしただけでなく、愛知県という看板も利用している。それらを使うなら別の基準や制約があるというのは問題がない。憲法があるからといって制約がないと考えるのであれば、表現を理由とすれば世の中のあらゆる法制や行政処分は無効にされてしまう。
だいたい、表現の自由を、補助が確実に支給される権利とするのは論理の飛躍だ。

文化を補助するのか

そもそも、政府が文化事業の予算を確保し、補助金を支給する必要があるのか。どんな表現にも税金の支出に歯止めがなく、検閲だと批判されるくらいであれば、税金から支出する必要はないと考える。