スマートフォンにコントロールされる人たち

街角ではみんなスマートフォンをさわっている。歩きながらスマホをするのはよくないと思うが、立ち止まったり座っている状態でやっているのは、多少違和感こそあるが、嫌悪感はない。
ゲーム中毒のオーラを周囲に出している人はやめた方がいいと思うが、新聞や文庫本がわりにしている人もいるわけで、スマートフォンに操られているとまでは感じない。
目の前に情報があると、人は所構わず見てしまうのである。かつては全国に二宮金次郎像があり、仕事をしながら本を読む姿は美徳として捉えられていた。横着とかせわしないとか、前を向いていないから危ないという風に教えられた記憶はない。
日本人はやがてスマホ中毒になってしまうのだろうか。わたしはあまり危機感を持っていない。かつては電車で週刊漫画雑誌を読んでいる姿が電話帳を見て笑っていると外国人に見られた話がある。今ではほとんど見かけない。媒体は時代が変われば別の物になる。だからスマホなんて10年くらいしかもたないと思う。そして、また新しい媒体に対して人々は新たな違和感を感じる予定なのだ。
例えば、めがね型端末や電子ペーパーにとって代わられると思うが、体に埋め込まれたり、コンタクトレンズ型になったりするのはよくないと思う。歩きスマホは危険だが、周りの人から見て歩きスマホをしているのが今のところはわかる。ながらスマホがわからなくなるのは、注意力散漫な人が氾濫するということであり、危険である。