Chinaを中国語表記にする?

「中国の英語表記を従来のChinaではなくZhongguo(中国の中国語発音・ジョングオ)にすべきだ」という論説が掲載され、中国国内のネット上で論争が起きているという。網易新聞が伝えた。

論説の筆者は「chinaとは英語で陶磁器を指す。もともとChinaは欧米人が勝手につけた名前。ポルトガル人は台湾をフォルモサと呼ぶ。カントンやアモイ、マカオも欧米人のつけた名称だが、中国の都市名は中国語表記で呼ぶべきだ」とし、中国はChinaではなくZhongguoに、中国人を Zhongguoesと表記するよう提案している。

極めてくだらない。

外国人が勝手に名付けたとしているが、外国語標記は外国人が名付けるものだ。まあ、名前は重要なアイデンティティだから、自分でつけた名前にしたいと主張するのは一向にかまわない。しかしその理由がいただけない。
 「chinaとは英語で陶磁器を指す。」って、どういうことか。原文を読んでいないので意図がつかめないが、

  • 国名に別の意味があるのがけしからんということか?

トルコ風呂の類は確かに失礼だが、陶磁器と同じつづりで何か不便なのだろうか。

  • まさか、国名Chinaが一般名詞chinaに由来した名前だと主張したいのか?

Chinaからchinaができたのは言うまでもないことで、もし逆なら、国名Japanも一般名詞japanが由来ということになってしまう。また、自分の主張のために歴史を変えようとしているのか。
日本版Wikiにはこのように書かれている。

支那という言葉は、インドの仏教が中国に伝来するときに、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を当時の中国人の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによる。

欧米人が勝手にそう呼んだというのはおかしな主張である。
彼らにとって歴史とは、現在の主義・主張に沿って作られる物語であり、史実に沿って過去を明らかにする学問ではない。過去を振り返り、人類が未来に向けての進む道を学ぼうとする知恵でもない。
「日本は過去の歴史への反省がない」と主張する国があるが、日本人は確かに戦争によって国内外に被害をもたらしたことを悔やみ、後世に伝えていこうとするばかりである。わたしたちはこれを反省だと思ってきた。ところが、国によってはこれを反省とは呼ばないらしい。歴史を物語とする国のように権益拡大のために自分たちで行った侵攻の過去は伏せて、他国による侵攻の被害を誇張し、政治的に利用していくということをしてこなかった。
彼らと同じようにするべきなのだろうか。しかし歴史はやはりねじまげるべきものではないと思う。
日本人には一部の国の空想に付き合っている暇はない。本当に共同教科書はできるのだろうか。