令和元年度

改元にあたり、国の予算は令和改元以降作成する文書において令和元年度と表記することとしたようである。
世の中においていろいろなものについて年度が広く使われているのにもかかわらず、国の予算のことだけあえて取り上げている。だから、一般の事業年度、会計年度、教育年度については今まで通りの慣習に従うのではないかと思っていたが、Googleで検索すると元年度がヒットする。
1月1日を始期とする年度以外は、必ず年度は2つ以上の年にまたがる。平成31年度は平成31年、令和元年、令和2年の3つにまたがるように、改元だと最低3つである。改元が1回とは限らないので論理的には4つということもありうる*1。こういったときは年度の開始日が属する年を年度と一致させるのがわかりやすかったのである。大正15年度は昭和2年まで続いたが、あとから昭和元年度と呼びなおすことはしなかったのである。
昭和63年度の卒業式は、平成に入ってから全国で行われている。だから令和元年6月1日は平成31年度のままで全く問題ない。
ところが今回は2つ目の年に書き改めるということを行った。なぜ2つ目がふさわしいのかの論理的な理由はない。過去2回は年度の終盤だったからか。そして今回は年度の序盤だからか。そうすると将来において9月だったらどうするのか。予想がつかず、政府の発表をお待ちくださいということになる。
上皇陛下の加齢が大きな理由であり、平成が忌み嫌われるものではないはずである。元号を令和に変えたからといって、命名の論理性を取っ払って無理やり平成を排除するがごとく令和元年度と言い換えたのは理解に苦しむ。
国の予算に限ってと読むのが通説でよいと思う。一方で、国の予算という重要なものが元年度と呼ぶくらいだから、他の年度も元年度と呼ばなければとむしろ平成31年度継続が例外だと理解する人もいるだろう。
年初に売られたカレンダーは、5月1日が赤くなかった。後からカレンダーを塗り替えることができたのはこれまでは皇室典範(改元)と祝日法(新たな祝日の制定)だけだった。国会の議決が必要だったのである。これが今後、政府の思い付きで後から変えることに慣れてしまったらカレンダー業界は大変である。紙のカレンダーはIoTになって電波時計がごとく勝手に書き換わるようになる時代が来るのかもしれないが、人は追いつけない。13月を作りますとか、1週間8日にしますとか、手でカレンダーを書いていたら大変だけれど、デジタルで一括修正できるのであれば何でもありだし、落ち着いて考えれば10連休なんて、書き換える範囲が小さかったらよかったものの、小学生の妄想のようなものだったわけで、すでに大胆なことをやってしまっている。今後もブレようならばそれはカレンダーではない。
民間のサービスがカレンダーをずらして差別化するのはありである。ドラマの視聴率を高めるために第1回や最終回の時期を他局とずらす。でもそれはカレンダーを基準にずらしているのであって、基準たるカレンダー自体が変動的なものになったら人々は予定や計画を立てられない。
改元の日に伴う10連休は、カレンダーを政府に売り渡した日として振り返ることになるかもしれない。

*1:令和も、その後の年号もいたずらに短く終わらないことを強く希望しているが、あくまでも論理的な可能性としての話