クライマーズ・ハイ

ジャンボ機墜落事故のドキュメンタリーなのかと思ったら、昭和のサラリーマン奮闘ドキュメンタリーだった。
はてなダイアリーの「人気の記事」で見つけた、http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080727を読んだ後だからかもしれないが、編集部で奮闘していた人たちは、エネルギーの使い方の効率が非常に悪い。
読者にいい記事を届けるため、上司と戦い、時間と戦い、他部署と戦い、部下の反発も食らう。そこまでした成果として期待するものが、ライバル企業を出し抜くことだったり、協会賞を取ることだったり。最後には結果に責任を取ってしまう。日本型企業の事情を知らない人は、「え、それだけのことでなぜそんなに熱くなれるの?」と疑問に思うことだろう。読者と直接つながるチャネルが限られていることに疑問を持つ者もいるだろう。第三次産業がいかにまどろっこしいかを就職前の学生に見せてやりたいものだ。
成果が具体的に見えるものなら、効率が悪くても仕事として認めてもらえる*1。農家や漁師が日本の食卓を守ると言えばわかりやすいのだが、新聞記者があれこれ奮闘して記事を書いたところで、読者にどんな影響があるかはたぶん測定できない。映画の中でも「マスターベーション」と表現されていた。そして、「2、3ページ、白紙で出してみろ。俺たちが売ってきてやる」とい営業サイドのせりふが出てくる。これでは、一所懸命に仕事していても、何を信じて動けばいいのか、やっている人間でもわからなくなるおそれがある。

時代が変わり、やっていた人間がいなくなれば、やがては、誰からも理解されなくなるかもしれない。

昔は、病人が出ると祈祷を行う人たちがいた。西洋医学、現代医療を知るわれわれにとっては、直接病気の回復につながらない祈りに対して効果を見出すことができない。ただし、神に祈れば治ると信じていたなら当時の人々には意味はあったのだろう、と想像することができる。
しかし、20世紀のサービス業は、後世の人々にとって理解してもらえる仕事となっているのだろうか。ネットが新聞を凌駕すれば、記事を1面トップにするか2面わきにするかで真剣な議論をしている編集部の会話がまるで理解できないだろう。きっと、歴史の教科書で説明してくれなければ、当時のエネルギーは忘れ去られていく。たぶん、この映画も、上映をする脇で解説をつけてくれないと理解してもらえなくなると思うが、将来において歴史教科書を作る人にとっての教科書(史料)になるのだと思う。
そして、現在のサービス業。萌えビジネスとか、ネット産業はまだ歴史になっていないが、歴史に残そうと思う人がいるだろうか*2。従業者の気持ちを正確に理解したうえで感情移入できる人たちが将来現れるのだろうか。
非常に参考になるのは、戦争体験である。まるっきり反対の意見が出ていることや、ある意見に史実に基づいた反論が行われているということ、それでも誤った意見は訂正されないこと、これらから、

  • 誤った伝承をする人が必ずいる
  • 歴史はつくられるもの
  • 一度誤ってつくられたら、なかなか直らない

ということに気をつけなければならない。誤って伝承されるくらいなら、いっそのこと忘れられたほうがよい、という割り切りもあるかもしれない。ただし、人間は記録を作る生き物だ。新聞記者という職業のことは、たぶん語り続けられることだろう。ただ、どのように語られるかはわからない。
ところで、正しい伝承がされるかどうかは別として、昭和は、昭和として懐かしんでもらえるのでまだうらやましい。平成は、平成として懐かしんでもらえるのだろうか。労働意欲の低下などが叫ばれ、将来の老人にとっては思い出したくないものになっているかもしれない。

*1:だから、農業や漁業は現在も行政から支援を受けているのかもしれない??

*2:NHKは、「ハゲタカ」や「監査法人」のようなドラマをやっているが、ビジネスの内容が複雑なため、単純化して作られる傾向にある。お芝居の構成として文句をつけるところはないが、その場に居合わせた人たちの考えを正しく表現できているかは検証しづらい