帰宅抑制

東京都帰宅困難者対策条例が施行される。

帰宅する人を責めてはいけない

条例は「企業」に「一斉」に帰宅しないことを「促す」ものである。個人が個別に帰宅することを禁止するものではない。
深夜までかかっても帰宅する輸送機関を再開させることは必要であるし、なんとか帰ろうとする人は支えなくてはいけない。
平常時でも、病気のため、家族のために家路を急ぐ人はいる。そういう事情を抱えている人は、災害時にはますます帰らなくてはならなくなる。
東日本大震災のときに、深夜の地下鉄運転再開を「混乱を招いた」と決めつけているブログを読んだ。再開で救われた人がたくさんいるのに、なぜ「すべての人が朝になってからゆっくり帰ればいい」と決めつけるのか。
放射能騒ぎの中、西日本に避難した人に対して「放射能に対する知識がない」と決めつける人々もいた。実際は、地震で被災して電気や水道が自宅では使えなくなり、毎日ホテル暮らしをするわけにも行かず、西日本の実家に帰省する人もいた。母乳に代わるミルクを与えるにはお湯が必要だ。ミルクを与えられない母親が移動を決断したことに対して「誤った知識に基づいて自分の子供だけ逃がせばいいと考えている。付き合わされる赤ちゃんがかわいそう」と解釈。人に対して無知と決めつけていた当人が、実は被災について何も理解していなかったことになる。
多くの人は被災場所で待機すべきと思うが、帰ろうとする人の事情も察してあげたい。

経験はあてにならない

東日本大震災の当日、東京でも帰宅困難を実体験した人は多かった。ただし帰宅困難以外の条件は厳しくなかった。

  • まだまだ寒かったが凍えるほどではなかった。
  • 雨は降っていなかった。
  • 地域によってばらつきがあったが、電気は間もなく復旧した場所が多かった。
  • 水道・ガスはほとんどの地域で供給され続けた。
  • 徒歩帰宅の際の道路や橋はさほど損傷していなかった。

鉄道が止まったのは大きな要素ではあるが、ライフラインが保たれたことで被災気分をせずに済んだ人も少なくない。飲み屋街では電車の再開を待つことを口実に楽しく飲んでいた人もいる。あわてて帰らなくてもいいということを経験から学んだ人もいただろう。一方、「歩いて帰れそうだ」と感じた人もいただろう。
しかし、ライフラインが断たれたらどうなるか。店が開いていないだけではなく、トイレに困る。職場に待機といっても、詰まったトイレから漂うにおいに耐えながら本当に待てるのだろうか。企業には水・食糧の備蓄を要請しているが、一番必要なのは簡易トイレや凝固剤ではなかろうか。そして、夜に帰宅したくても、街灯はついていない。
一方、極寒だったり雨天だったりしたらどうなるか。徒歩をあきらめ、屋内待機をする人がもっと増えたのではないだろうか。
それぞれの経験をうのみにせず、その場で判断をする必要があるのである。