スマホ依存、マルチタスクでいいのかもしれない

岡田斗司夫さんのYouTube動画を見た。
スマートフォン依存の話を何度か取り上げている。
ちょうど、ながら作業中に見たので、ながら作業はよくないという話をしていて身につまされる思いだった。

スマートフォンがあるだけで、脳の能力が10%下がると説明している。
わたしは、「えっ、10%しか低下しないの?」と思った。

コンピューターに例えればCPUを100%使い切るのが理想ではあるという仮説は成り立つ。
ただし、CPUを100%使い切っている状態で、他のメモリーやストレージが有効に使えているかというとそんなことはなく、
また、新たなタスクの割り込みがあったときにコンピューター全体の安定性を失いやすい。

10%程度を割り込みに備えておくというのはそんなに悪いことではない。
岡田さん自身が解説している通り、もともと野生生活をしていた時代から人間の脳の作りは変わっていない。
物事に集中しすぎて外敵が近づいていることに気づかないことがないようにできている。

頭脳作業をしたいからといって、100%集中するようにするのは動物の一種である人類として不自然な行為である。

マルチタスクを排してシングルタスクにすることで、作業の所要時間が短縮されるのであればいい。
ただし、実際はそんなことはない。
本をめくるといったインプット、文章を書くといったアウトプットは手の動きを極限まで高速にできない。

人間に与えられている時間は有限だ。
脳や手をうまく使うことも重要だが、時間をうまく使うことも重要だ。
マルチタスクも時と場合によっては有効である。

ただし、

現代の子供は生まれながらにマルチタスクである。
シングルタスクの集中を知り、ゾーンに入る心地よさを理解することは重要なことである。

人生、これだけはやらなければならない、ここだけは乗り切らなければならないという場面があると思う。
マルチタスクしか知らないのは、本人にとってかわいそうである。

スポーツを習うことは、比較的ひとつのことに集中しやすい環境を得られやすい。
ところが、そのスポーツも理論が先行してしまう。
時計を見ながら、データを見ながら、ビデオを見ながらになってしまう。

もう、シングルタスクのことなんか、教えなくていいのだろうか。

だって、人類はスマートフォンとAIを使って、頭脳の外だしを始めてしまったから。
瞬発力が求められるのは会話くらいなもので、記憶や計算、翻訳なんて補助なしでやる必要はない。

外だしできるからといって、せっかく地上最強にまで進化した頭脳のポテンシャルを持て余すのはもったいないとは思うだけどな。