謝罪映像

またニュースで偉い人が謝っている。
大学入試問題投稿事件では予備校が、女児死体遺棄事件では大学が謝っている。
「このような者がいたのは残念だ」と語るならともかく、なぜ謝らなければいけないのかがわからない。
もっとわからないのは、テレビが貴重な放送時間を割いて、謝罪会見映像を放送すること。頭を下げ、カメラのフラッシュが盛んにたかれた場面の映像であることが必須条件になっているようだが「全然関係ない映像が紛れ込んでしまいました。失礼しました」と訂正してもよさそうなくらいだが、それもない。
警察発表と謝罪会見をセットにしただけで報道したつもりになっている事件報道。そんなものはいらない。毎日続報を続けなければいけないとか、続報をするなら1分以上やらなければいけないという業界慣習があるのだとしたら、それは視聴者には関係ないので、2日に1回くらいにしてもらって、より優先度が高い別の報道に時間を譲ってほしい。

これと何が変わらないのか

学校が謝らなければいけないのなら、こういう謝罪報道があってもいい。(以下は、最近のニュースとは関係なく、また、もちろんフィクションです)

A幼稚園の園長は記者会見を開き、「このような児童を小学校に送りだしたことは誠に遺憾です。XXXは、個性的で孤立することが多い児童でしたが、そこに犯罪の芽があったことを見抜けまでした。教育の至らなさををお詫びします」と述べた。

過去の所属団体の責任者は謝らなくていいって? すると、現在の所属であることが必要なんだな。

B町内会の長老は記者の会見に応じ、「わが町にこのような犯罪者がいたというのは大変恥ずべきことであり、近所づきあいのあり方に問題があったのかもしれない。ご迷惑をおかけしました」と述べた。

こういうのはどうだろうか。

ゲームメーカーは記者会見を開き、「今回の事件は私どもの会社が販売したゲームのストーリーをモチーフにしたものだとの報道がありました。大変遺憾です」と述べた。

携帯電話会社の社長は記者会見を開き、「大変悲しい結果となった犯罪に当社の携帯電話が利用されていたとの報道がありました。犯人とは見抜けず大変残念です」と述べた。なお同社は同様の犯罪が増えていることから、今後謝罪会見を定期的に行うことも明らかにした。

D県の知事は定例記者会見においてこの事件に触れ、「容疑者が本県の出身者であったことは大変残念であり、県教育委員会に対して教育のあり方について見直しを指示したところです。誠に申し訳ありませんでした。」と述べた。

学校に謝罪会見を開かせるなら、首相や国連事務総長にも謝罪会見を開かせたらよい。宗教団体の代表や、日本に影響力を与えているとされる中国やアメリカも悪いかもしれない。「いいや、それらは関係ない」と思うならそれは正常な感覚だと思う。そして学校だって同じくらい関係ないことを理解してもらいたい。首相や国連には要求できないが、学校になら会見を要求できるというのであればそれはいじめだ。

謝る側ではなく、報道する側の問題

謝る側にはいろいろな思惑があるし、いろいろな事情がある。「謝らなくていいのに謝るなんておかしい」とは思わない。でも報道する側は問題だ。いい加減に滑稽なことをしていることに気付いてほしい。