結果論は意味ない

 27日晩の朝まで生テレビ。出演者は、ライブドアの株主を

  • 未熟だ
  • おおいに責任がある
  • 自己責任が前提であるという教育を受けていない
  • 価格だけ見て買っている

と言う。
 株主が市場に救済を求めているならしかってもいいけれど、自己責任だというなら周りから責め立てる必要はないと思う。ライブドアの責任を追及したいならば株主で居続けると思うが、みんな売却に走っている。きちんと自己責任を果たしている。
 投資家と投機家が、儲かると考えれば市場で合法的に株を売り買いするのは自由なのだから、単に判断を間違えただけだろう。投資(投機)先がいかがわしかったら買うなというルールだったら、例えばちょっと経営が悪くなった企業はたちまち倒産し、社会全体で失業者が増えることになる。どんな会社でもコンプライアンスが完璧ということはなく、逮捕前のライブドアは他社よりも黒に近かったという情報しかなかった。怪しい企業に投資することが未熟だというのはおかしい。
 投資家が間違えたのは、「出るくいは打たれる」ということに気づかなかったというだけのこと。
 自民党の責任を問う話題になって「結果論だ」という話になった。それなら投資家や投機家だって同じことだ。なぜたまたま資金を投入しただけで「未熟だ」などと怒られなければならないのだろうか。成熟した市場とやらの定義をぜひ知りたい。
 そう思って話を聞いていると、投資家(投機家)がマーケットで高いパフォーマンスを示したのが社会に悪影響だということのようだ。一方で別のところでは高いパフォーマンスの結果が数字となって現れる時価総額は企業の価値と関係ないと言っているだろうに。
 自己責任というのは、自分のやったことを身内だけで反省すればいいことである。家の貯蓄を使い込んだなら家族からしかられればいいことである。日本だと、恥ずかしいことをしたというだけで社会に迷惑をかけたということになってしまうのだろうか。