無償アプリ

Androidでは有償のアプリケーションを購入しなくても無償アプリでやりたいことが一通りできる。
有償版ソフトウェアの試用版をAndroidマーケットに登録すると、一覧では「無料」と表示される。いったん無料と表示されたものに対して利用者はお金を払おうとするだろうか。時間をかけてダウンロードしてインストールしてみた結果、機能制限や期間制限があることがわかると裏切られた気分になり、無料の試用版すら使う気が失せる。ましてや、無償アプリもそれなりの機能を持つようになっている中で、試用版を出すことがむしろマイナスになる可能性がある*1。どうしても試用版を配りたいなら、スクロールしなくても見えるようにソフトウェア名の最初に明記した方がいい。

『試用版』○○○ソフト

のようにする。無料の2文字を読む前か後かで印象が変わる。
さて、無償が当たり前になってくると、無償アプリ自体に対する評価も厳しくなる。

  • 利用者はお金をかけない分、手間は惜しまない
  • 利用者は制作者に感謝して使う
  • 利用者は多少不都合があっても我慢して使う
  • 利用者は不具合を報告する権利はあるが、制作者から回答を受け取る権利は保証されない
  • 利用者はソフトウェアを導入することによって派生して発生した問題は自分で解決しなければならない

これらは無償ゆえに仕方がないこととされてきた。しかし、Androidはまだまだ不安定なOSである。メモリーはできるだけ解放しておかなければならないし、使わない常駐ソフトウェアはなるべく減らさなければならない。無償だから入れたままにしておいてもいいや、ということではなく、使われないソフトウェアはアンインストールされる。バグがあるソフトウェアは多少便利でもアンインストールされる。そのときの無償アプリは、感謝される存在ではなく、アンインストールの手間を発生するやっかいな存在である。
有償ソフトに不具合があったら、提供者に堂々と苦情を言うことができる。ところが、無償ソフトは堂々と文句を言えなかったり、言っても返事がなかったりするので、不満がたまる。提供者に対する悪いイメージがしばらく残る。
このようなことが理解された上で無償アプリは公開されているのだろうか。例えば新聞・出版業界は自社の有料コンテンツを小出しに見せるアプリを公開しているが「本来は有償の記事を無償で出してやっている」という感覚なのだと思う。ところが、使えないソフトウェアだったら邪魔者扱いされ、その会社にとって逆宣伝になる可能性がある。無償公開までには社内の調整や版権の処理があり、苦労があるのかもしれない。そこで読者には感謝してほしい、ぜひ有償コンテンツも買ってほしいと勝手に思っているかもしれないが、読者にとっては関係ない。
無料でもやっかいがられるなんて、コンテンツ配信者やソフトウェア制作者にとって受難の時代である。
証券会社が提供する取引用のアプリのように、まずはサービス提供の契約なりビジネスモデルが最初にあって、それを実現するためのアプリがおまけとして提供される形態が現状では無難である。順序が大切なようである。「とりあえず無償のアプリでお試し」は最悪である。

*1:古参の交通経路案内ソフトのことを言っている