服装の崩し方

 今日は街で高校生の集団とすれ違った。制服はブレザーだったが、みんな一応に

  • ネクタイをゆるく締めて
  • シャツは第2ボタンまではずして
  • ネクタイの結び目は太くて
靴はぼろぼろ

崩し方基準みたいなものがあってそれに従っているかのようにみんな同じ格好だった。
 崩すのは好きではないが、だめとは言わない。ただし、自分はやらない。もしそれを写真に撮られて、数十年後に見たときにどう思うか。自分の子供たちに

ださい

と言われるに決まっている。「みんなそうしていた」と言うのかもしれないが、言い訳として見苦しい。「私は私なりの個性的な格好をしていた」という方がまだましであるが、それも個人のファッションセンスを疑われて自滅しそうである。反論するとすれば「当時はこれが(同世代だけではなく社会全体として)正しいとされた服装だった」という以外にないのではないか。すると、中途半端に崩していては何も反論できない。
 ルーズソックスのはやり廃りを見ていると、標準の崩し方がださださになるまでの時間は非常に短くなっていくと思う。上に数十年後と書いたが、実は4〜5年経ったら「なにこれ」となるかもしれない。なるに違いない。例えば、メイドのコスプレ。
 大学紛争はまだ思想を感じさせるが、竹の子族なんて目も当てられない。
 みんなと合わせなければいけないという暗黙の約束のようなものがあるのだとしたら、せめて、修学旅行や卒業式の記念撮影はきちんとした身なりで臨むのがよいだろう。