金融破綻

3年くらい前*1から、北京オリンピック後の不景気は北京発だと思っていたが、震源地はアメリカ合衆国だった。
イスラム圏の民は、神の怒りに触れたと思っているかもしれない。日本人としては他人事ではないが、バブル崩壊後のジャパンプレミアムのことを思い出しながら、現在、東京における外銀向けの貸出金利が急上昇しているのを見ると、昔に言われた仕返しに

欧米特別金利だね

と、ぼそっと言ってみたくなる。
2008年の初頭に「年末には株価が上がる」と言っていた評論家は、今では金融資本主義が終焉したと言っている。たぶん博打資本主義の存在は知っていただろうし、経済の拡大に異常さを感じていただろうが、その背景に世界の警察官たるアメリカ合衆国の強大な政治力の存在を感じていた。イラク大量破壊兵器があることにしてしまった国だから、バブルがはじけそうになっても実体経済が存在することにしてしまう魔力があると思ったのだろう。確かに力はあったのかもしれないが、盛者必衰だった。
アメリカの政治力は外国には有効に働いたが、国内では力のない庶民からローンとして吸い上げていたわけで、この仕組みはいつまでももたない。これは政治ではどうしようもない。民主主義国家権力は庶民を牛耳っているつもりでも最後には庶民に振り回される。
博打が終わったあとの世界はどうなるのか。
アメリカ政府は海外を侵略しようとするのか。いや、民主党政権になれば経済戦争が仕掛けられるだろう。標的はアジアだ。アフリカを食い物にするというオプションもある。

会計制度

資本主義は大きく方向転換しようとしているが、時価主義を肯定する国際会計基準の導入はこのまま進むのか。
日本基準の核となっていた取得原価主義が古いかのように言われているが、20世紀に取得原価主義を勉強してきた人は、「企業の本業の業績を知るのに、毎日ころころ変わる金融商品の時価を無理に反映する必要はない」と教わってきた。時価を知りたいのは手っ取り早く企業を売り買いしたい投機家だけのはずだった。
制度変更を進める目的を確認せねばならない。現在はグローバル化、複数帳簿を作成するコストの削減が言われているので元には戻せないかもしれない。今までの伝統にしがみつく必要はないが、世界中の博打うちが理解しやすくするために日本企業ががんばっていたのだと後世になって評価されるとしたら滑稽である。金融資本主義が見直されれば、実業企業*2金融商品などそれほど持たなくてよい。
時価主義には実はもう一つある。それを伝統的時価主義会計と呼ぶとすれば、社会主義者が、資本家の利益を表現することを目指したものだった。資本家が蓄積した財産をより大きく把握しようとするため、物価変動(主にインフレ)によって生じた差益は富を持つ者が搾取してきた結果の不労所得とみなして社会に還元すべきというものだった。論理的に破綻しているが、大学の図書館に行くとそういう本が堂々と並んでいる。
時価、時価、と言われると「伝統的なやつではないですよね」と心の中で念を押すことにしている。経済新聞の記事では「何でも時価評価するわけではない」と繰り返し書かれている。知らない人は何の釈明かわからないかもしれないが、何もかも時価評価するようになったとしたら、時価を鑑定する手間以上に重大な問題をはらんでいる。
金融破綻も会計基準も、実は左翼の陰謀だったとしたらすごい。資本主義は行き着くところまで行った後で……というやつだ。

*1:中国株が暴騰していた

*2:金融業などの虚業は時価会計にしたらよい