高校野球中継を見て思う

とうとう「延長する」から「延長で短縮させられる」立場にまで落ちぶれた巨人

 2006年8月13日日曜日、BS朝日は、高校野球中継を延長して放送した。後続の番組は広島-巨人戦。これまで、野球実況放送は数多くの連続ドラマの放映時間をずらしてきたわけだが、録画予約に失敗してきたドラマ愛好者たちの怨念がそうさせたような気がした。

  • テレビのデジタル化の売りのひとつには、野球延長にも対応できるというのがあったはずだが、巨人戦は開始がずれた。*1
  • BSの野球中継は、地上波のように夕方のニュースにしばられないで試合開始から見られるというのが売りだった*2とも思えたのだが、巨人戦は開始がずれた。
  • 全国の多くの地域では、NHKの地上波等、多局が同時生中継をやっていたはずだ。一方で巨人戦は地上波放送がなかった*3。それでも巨人戦は開始がずれた。
  • 高校野球はアマチュア、巨人戦はプロ。それでも巨人戦は開始がずれた。

どの角度から見ても、かなり驚くべきことのはずだが、すっかり慣れてしまった感がある。確かに、

八重山商工の方がおもしろかったもんね

どうする、ジャイアンツ。

高校球児の笑顔

 かつては、おやじの青春懐古の押しつけなどと言われ、「試合もまた教育の場であり、高校生らしく」、さらには「ガッツポーズなんてあってはならない」などと言われた時代もあった。今はとてものびのびと競技しているように見える。
 しかし、教育関係者に一挙一動を細かくしつけられていた時代の方が生徒は楽だったのではないか。
 広い球場で多くの観客が見ている。ライブ会場の歌手とは違い、モニターやカンペであらかじめ小細工をしておくことはできない。ベンチからはサインや伝令が届くけれど、最後は自分の力でやるしかない。本番一発勝負。学校の期待。地域の期待。名前付きで全国放映され、ビデオや写真になって何度も振り返られる。出演料はもらえないのに、下手なことをやれば批判されるかもしれない。
 高校野球はトーナメントだから、偶然勝ち上がり、偶然試合に出ている選手だっているわけだ。平均よりははるかに高い能力を持っている個人が集まっているに違いないが、オリンピックの代表のような、一握りの天才だらけ*4という世界とは違う人もいる。
 自分だったら

どういう顔をして出たらいいんだろう

と思ってしまう。
 選ばれたことへの自信があるのか、地区予選を勝ち上がってきたプライドのおかげか、普段の動きはさばさばとしている。でも、問題なのはうまくいかなかったときだ。
 「エラーしたときの野手」や、「連続ファーボールまたはデッドボールを出した投手」をよく見てみよう。以前なら、帽子をとって周りの人に深々と頭を下げればよかった。今時の選手はみんな

笑ってごまかしている。

その笑い顔がまたとても痛々しい。自由にやれと言われても笑うしかないのだ。
 一流選手にしてみれば、就職試験も兼ねているのである。一般人で言えば、面接試験で変なことをしゃべってしまったときのようなものだ。試合の行方なんてどうでもよくなって、彼らの心境がどうなっているのか考えるだけでどきどきである。

その試合だけで人生が決まるわけでもないから、ドンマイドンマイ。

*1:ハイビジョンを標準画質に切り替えれば、同時に3チャンネル分を生み出すことができる。でも、BS朝日はハイビジョンのまま放送を続行した。

*2:難視聴対策の役割を兼ねているNHKは除く

*3:在京キー局。広島ローカルではどうだったかまでは知らない

*4:主に人気で注目度の高い競技の場合である。選手層の薄い競技では選抜も厳しくなかろうが、そういう競技は注目も少ない