IDポータビリティー 続き

 私的な連絡先が変わるといえば、引っ越しが代表的なイベントだった。ところが通信手段が増えて個人につくIDが増えてくると、住居は変わらないのにIDを引っ越すという事態が発生するようになった。
 わたしが知っている限りでは、そのような事態が発生した最初は、90年代後半、理系の大学生が卒業するときに、自分のインターネット・メール・アドレスをそのまま使い続けられないと気づいたことだ*1。当時のネットは性善説で運営されていたから、自宅からは大学のモデムに電話をかけて、卒業後もこっそり入ることができ、IDも消されず放置されていようものなら、大学のサーバーを介してメールやWWWを使い続けることが可能だったが「いつまでこんなことが許されるのだろう」とおどおどしながら使っていた者がいなかったといえば嘘になるだろう。すでに個人向けプロバイダーはあったが、大学で無料で使えた常時接続環境にかなうものではなく、何しろメール・アドレスが見知らぬ会社のドメインに変わってしまうことに抵抗を覚えた者が少なくなかった。
 プロバイダーと言えば、ISDNや一般加入回線で接続していた頃は、つながらない、遅い、サービスが悪いといった業者が多く、ヘビーユーザーによるプロバイダーの乗り換えがはやった。ただ、それまでのプロバイダーはすぐに解約するのではなく、

  • 定額料金のプロバイダー*2
  • やや高いがつながりやすいプロバイダー*3
  • 付随サービスが充実しているプロバイダー
  • メール・アドレスやURLを代えたくないので惰性で加入しているプロバイダー
  • モバイルなど、特定目的のプロバイダー

といった使い分けをする人が多かった。Webサイトのレンタルスペースが数MBしかなかったころ、3つも4つものプロバイダーにまたがっている個人ページもめずらしくなかった。コンテンツが増えすぎて、一部を新たなプロバイダーに引っ越した結果である。Webサイトに書かれたメール・アドレスにメールを送っても返事がなかったり、サイト内のあちこちでリンク切れが発生しているのを見かけると「引っ越しがうまくいっていないな」と思ったものだ。
 インターネットのサービスが充実するにつれ、伝統的なパソコン通信のサービスが終焉を迎えた。今までパソコン通信のIDが宛先だった人が、インターネットに完全移行したのは1999年の@nifty誕生だったと記憶している。パソコン通信のサービスが完全に移行したわけではないが、パソコン通信利用者にとってもインターネットの優位性は明らかで、サービス終了にさほど強い抵抗はなかった。
 以上、20世紀に引っ越しを経験した人は、おとなしく移行をすませたものだ。しかし、個人IDが一般化した21世紀は状況が変わってくる。
 まずは、固定通信業者から「既存事業者によって番号によって自動的に電話会社が決まってしまうとNTTからの移行が進まない」という議論が、郵政省(現・総務省)でまじめに繰り広げられた。市外局番がNTTに独占されていて、他社は事業者番号をつけなえければならないとかみついたのが「マイライン」サービスになり、IP電話等に電話番号が付与されないとかみついてできたのが「050」で始まる番号である。
 しかし、事業者が大騒ぎしているわりには一般への浸透度はいまいちだったように思う。NTTは、別会社を通じて1996年5月にワンナンバーサービスを開始し、統一の番号で電話を受け付けたときに、着信側が一番受けたい電話に転送してくれるサービスを提供したが、あまり受け入れられなかった*4
 一方で、利用者が気にしていたのは携帯電話番号のポータビリティーである。
 ドコモの圧勝だった携帯電話市場が、写メールのJフォン(現・Vodafone)、auとトレンドが変わるにつれ、他社の携帯電話に乗り換えたいというニーズが強まったが、電話番号が変わると連絡先が変わってしまうので自分も面倒だし相手も困るという事態が深刻になってしまったのである。
 何が深刻かと言えば、常に携帯電話でつながっていないと寂しくて仕方がない人、携帯電話にとりあえずメモリー登録して番号を覚えない人(バックアップをとらない人)、携帯電話にとりあえずメモリー登録しまくるが相手を覚えていない人など、携帯電話に依存してしまう人が多くなっていたのである。これらの人たちに携帯電話機を取り替え*5や、相手への連絡をするというのはとても苦痛である。
 法人需要が高かったアナログ携帯から第2世代デジタル携帯の移行はあまり騒がれなかった*6。営業マンだったら、用がなくても得意先と会話ができるチャンスともとらえられたから、番号変更告知が面倒と言う声はあまりなかったのかもしれない。そもそも、当時は確実につながる電話ではなかったから着信は事務所の固定電話という人も多かった。しかし、今や携帯依存症の人もまた、法人需要と並んで大きな通話料収入源である。この移行はスムーズに行わなければならない。
 第2世代携帯から第3世代携帯の移行は事業者内で番号移行を可能とした。ツーカーau合併に伴う移行も可能だ。そしていよいよ2006年、事業者間の番号移行も可能になる。
 ただ、一週遅れの感は否めない。今や、携帯電話は話すだけのツールではなくて、メールやアプリケーションを利用するツールである。メールやアプリケーションは移行することができない。メール・アドレスには携帯事業者の会社ドメインが含まれる。アプリケーションの利用はIDポータビリティーと関係なさそうに見えるが、実際は課金や利用者特定の目的から携帯電話のIDを通信している場合がある。メールやアプリケーションの移行はどうなるのだろう。
 まずは携帯電話の埋め込みアプリケーションに改良が加わるのだろうか。他社のアプリケーションを移し替えられるようにしたり、プロバイダーのメールを携帯事業者のメールと同じ手間で見られるようにする*7ことが考えられる。ただ、これらの対策は、新規参入業者の参入障壁をなくすだけであり、既存事業者には全くメリットが感じられないので難しいかもしれない。
 個人に対して、誰でもいつでもアクセスできて、いつまでも使えるIDを与えるという作業はなかなかうまく進んでいない。住基ネットもいまいちだし、Microsoft Passportも頓挫した。
 もう

IDは変わりつづけるもの

という前提でインフラを作るしかない。
 ひとつは、引っ越した人へのアクセスを転送をするサービス。昔から郵便局やNTTでやっていたものだ。1年と言わず最長3年くらい、携帯電話事業者やインターネット・プロバイダーにやってもらいたい。年間100円〜500円くらいでなんとかならないだろうか。
 例えば迷惑メールに悩んでいる人がいたとする。まずアドレスの引っ越しをし、そのプロバイダーとの契約は解除するが、転送サービスだけ継続契約する。数ヶ月して、仲間に連絡が済んだ段階で転送サービスを終え、迷惑メールだけが引っ越しに気づかず遮断される。
 また、年賀状のような定期情報交換の仕組みを、あまり迷惑をかけずに行う行事をはやらせる。連絡先の通知をひとりでやるから面倒だと思う。みんながやるとなれば当たり前のようにやるようになるだろう。
 ただし、スパム・メールになったり、年1回正月などに集中してサーバー負荷が高まったりするようなことは避けたい。今のところは

紙の郵便でやる

という昔ながらの方法しか浮かばないが、いい方法はないだろうか。

*1:文系の学生はインターネットが何かすら知らなかった

*2:ISDNのターミナル・アダプターに、指定時刻に切断する機能がついていて、これを使うと料金加算に気兼ねせずに使うことができた。大きなファイルのダウンロードやアップロードをしたい場合、明け方寝る前にパソコン側で通信をセットしてから寝ると、起きたときにはデータのやり取りも終わり、通信も自動で切れているのが便利だった

*3:今すぐ確実につなぎたいときに使う

*4:受ける電話がPHSやポケベル、自動車/携帯電話にセットされていた場合、圏外ならば結局つながらないのである

*5:モリーの移し替えサービスは最近までなかった

*6:昔の人は手帳に番号を控えていたから、電話の取り替えよりも年末の手帳の取り替えの方が忙しかったに違いない

*7:Webメールは操作が面倒だし、電波が通じないところで下書きを書くことができない