文書能力

 最近はメールやチャットでコミュニケーションがすんでしまうためか、文書をきちんと書くという習慣がない。ブログを始めてみていかに自分の文書能力が衰退しているかを身にしみて感じる。
 1段落に3文書いて読み返すと、第1文と第3文がたまにつながっていない。主語が欠けたり、代名詞が何を示すのかがわかりづらかったり、呼応が不一致だったりする間違いも目立つ。誤字誤変換は当たり前*1。かつて小論文のテストで、千字以内と言われたら、400字詰め原稿用紙2枚半で最後の行の最後のマスまでぴったり埋めることに執念を燃やすほど文書コントロール能力があったはず*2だが、今は、5行書くと前に何を書いたか忘れてしまう。思いつく順番にとにかくキーボードをたたいてしまっているのがいけないのだろうか。
 手書きは思考の形成を助けてくれるが、コンピューターを使っていると「記憶は機械に託してどんどん忘れよう」とする習性が働くようである。タイピングが上達すればワープロは、原稿用紙よりも多くの思いつきを残してくれる*3が、ごみとなる思いつき情報を捨てて文章を読みやすく組み立てることまでは手伝ってくれない。これを忘れてコンピューターに頼ってしまうのはよくないことだ。
 実はもうすぐ論文を書かなければならない。何度推敲*4してもまともな文書にならないんだよな*5
↓書き直し。
 実は、しばらくすると論文の締め切り日がやってくる。丹念に推敲しても、あとで読み返したら恥ずかしい文書を書いてしまうのだろうかと思うと、気が気でない。
 日記でも書いて、作文の練習をしようと思う。

*1:MS-IMEの変換結果がひどいのでATOKを買ったが、それでもうっかりを撲滅するには至っていない

*2:ちょっぴり自慢

*3:思いついたことを原稿用紙に書いてしまうと、消しかすか、ボツ用紙の山ができやすくなる。よって、普通の人は思いつくまま書き殴ることはしないだろう

*4:「何度推敲」こらっ。漢語の連続は読みづらいぞ。間に読点を入れるか、言い換えしなされ。

*5:「ならないんだよな」こらっ。である調で書いているのに、すぐに話し言葉に変えようとしてしまう。チャットじゃないんだから、おっとっと、ないのだから。