ごめんなさいが加速する

怒りをぶつけても仕方がない

2023年6月2日京都新聞民度の低下を憂う記事である。
news.yahoo.co.jp

終日運休を決めたJRに対して、乗客が怒ったという。
天災により、安全確保のために運休するのは仕方がないではないか。
じゃあ、わかりました、再開しますとしたところで、災害が発生したらどうなる。それはそれで被害者がクレームを言うのだろう。

「野宿しろということか」

新幹線が高頻度運行されているからといって、あらかじめ台風が来るとわかっていて旅行を開始した乗客が、他人に怒りをぶつけてどうする。
営利企業に対して「運転を打ち切ったら列車を待機所として提供するのは当たり前」という思い込みもやめてほしい。

うるさくなるからやめて

こういう客がいると、係員はカラオケに熱を入れる。
「本日は運休しています。復旧の見込みは立っていません。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
何度も何度も何度も大音量で繰り返す。

大雨が来る前から「本日は運休が予想されています。」

天災は仕方がない。運休するのは仕方がない。しかし、仕方がないことを何回も連呼されるのは迷惑である。

自分たちは騒音にあふれた環境で業務をしているかもしれないが、一般の人はそうではない。うるさいのは迷惑である。

「あと1本だけ運行することになりました。本日はこれが終電です」
だったら、大声で何度も何度も何度も連呼してもらってかまわない。それは価値がある情報である。

しかし、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」は、それ自体が迷惑である。うるさい。
雨が降ったのはお前のせいではないだろう、謝るなよ。

そして何より重要なのは、クレーマーはこの過剰放送を一切聞いていないということである。
大音量で刺激を与え続ければ怒りが収まるということはないのである。
耳の聞こえが悪い人には、相手の目を見て口を見せながらゆっくり話さなければ意味がない。
身近なおじいちゃんやおばあちゃんがテレビの音量を上げるのを見ていて「聞こえない人には音量を上げたら聞こえるに違いない」と。それは思い込みである。
テレビの場合は聞きたがっているという前提があるので、音量を上げることで聞こえるようになる。
耳の聞こえが悪い人は、世の中のものが何もかもが聞こえにくいと感じている。特に、かつて耳が聞こえた人にとっては、聞こえにくい音は不快な音なので、人間の脳は聞こえないようにシャットダウンするようにできている。音量の大小は関係ない。
この仕組みがなかったら、人間は不快すぎて乗り物には乗れない。航空機なんて決死のフライトになる。
だから、音量をいくら上げても無駄なのである。
マスクをして話すから、活舌が悪く、いくら音量を上げても聞こえにくいものは聞こえない。

駅員に訴えたい。
街宣車選挙カー。あなたは、一言一句受け取っているのか。あそこで名前を連呼していた候補者の名前、5分後に思い出せるのか。
あなたも日常生活で不快を感じているはずなのに、なぜ乗客のため、クレームを受ける自分のためと勘違いして世の中に不快を増幅させるのか。
駅前で無許可のストリートパフォーマーが取り締まりを受けるなら、あなたのカラオケは取り締まりの対象ではないのか。
なぜ「私はみんなに情報を届けている」と酔いしれているのか。
何のためにその放送をしなければならないのか。よく考えてほしい。

締め出される

そして、このカラオケを煽る民度の低い乗客はおとなしくしていてほしい。

電車が止まっても乗客が落ち着いて対応すれば、体調を崩している人の看護など、係員は本来助けを必要とする乗客への対応に専念できる。
ところが、あまりにもクレーマーがしつこいと、まともな乗客も含めて締め出すしかなくなる。
東日本大震災で、JR東日本が運転再開を断念したときに駅から乗客を締め出してシャッターを下ろした記憶が思い出される。
一部の迷惑行為が、他の乗客に迷惑をかけるのである。