地震があったのでラジオをつけてみたけれど

2022年3月17日。東北地方で大地震

広域停電が発生したそうで、自分がいたところは問題なかったがラジオをつけてみた。

すると、ずっと津波の観測情報と避難喚起の呼びかけをやっている。ああ、きちんと報じているねと最初は思ったけれど、だんだん腹が立ってくる。避難喚起はともかく、津波は到達しました、注意報が出ています、という情報を執拗に繰り返す必要はあるのか。

テレビは音声と映像と字幕で複数の情報を報じるが、ラジオはひとつずつしか言えない。その時、伝えたい情報は津波100%なのか。

津波の細かい情報を聴者が理解する必要はなく、もしろ細かいことを気にしないでとにかく逃げろというのが必要なメッセージである。地域別の津波の高さの予報をひとつひとつ読み上げておきながら、到達した地方でも近づかないでくださいというが、それを言いたいなら東北地方で1m程度、のような表現で全体感のみ伝えるべきである。

 

携帯ラジオは動かすと聞こえにくくなる。カーラジオは移動に耐えるように作られているが携帯ラジオは小さな本体にラジオを埋め込んでいるので受信しやすいところにとどまる必要がある。

すると、津波の詳報に聞き入ってしまうと人々は立ち止まってしまう。それは危険である。いろいろ教えるけれど海岸の人はむしろラジオを聞いていないで逃げろと言わねばならない。ところがマスコミは、俺たちは今面白いものをやっているだろ、いつ何時もずっと見ててね聞いててねという根性を捨てられない。非常時なのに。

きっとマスコミは被災地にいる人に伝えたいのではなく、遠くにいる人に臨場感を味わってほしいのである。ワイドショーの不倫報道を、不倫ができない人に向けてやっているのと同じ。ではあれば、これは激情創出産業である。劇場ではない。トラウマになりそうな激しい感情を受け付けるための嗜好品。平たく言えばエンターテインメント。もはや公共的な仕事ではない。

 

同じことを何度も聞かされると人は聞かなくなる。ラジオは本当に人々に避難してほしいと思っているのか。

津波が来そうなところにいたらとにかく逃げろという日頃の啓発が必要なのであって、意識がそこに及ばない人は今どき災害時にラジオなんかつけないので、今一番言うべきことは何かを考えてほしい。

インフラの状態など、他の情報を待っている人がいる。でもそこに応えない。

だから人々はYahoo!を見る。Yahoo!は一時混雑していたが、情報提供の責務を果たせていたようだ。携帯電話の回線も大きな障害は報告されていない。停電したという書き込みがたくさんSNSで見られたのがその証拠。

今日では、津波は到達済です、到達済です、とお経を唱えているラジオよりもネットを頼りにする。菅政権の値下げ政策で品質が下がってきたら新たに頼りにするメディアを探さないといけないのだが、今回はYahoo!だった。Yahoo!おめでとう。