密を作るソーシャルディスタンス つづき

 訪れる人を気遣う気配はなく、単にポーズだけで行うソーシャルディスタンスが街にあふれている。感染拡大に寄与するそれらの企みは批判されることなく、コロナだから仕方がないよね、という受け止められ方をしている。距離を保つことが目的ではなく、感染防止が目的であるはずなのに、距離を保てば感染リスクが高まってもよいというとんでもない状況が生み出されているのを見て、もう少し科学的に行動できないものなのかと思わざるを得ない。
 路線バスの運転席に近い席を封鎖する会社はだんだん減ってきたように思うが、まだ残っている。特に運転席のすぐ後ろの席には、大きなついたてがあるにも関わらず、そこに座るなと言う。毎日運行されている満員電車で未だクラスター報告が皆無にもかかわらず、未だに空気感染を信じている証拠である。
 商業施設などでの、入口専用、出口専用という表示も気になる。人は全員同じ方向を向いているのがよくて、少しでも向かい合わせになってはいけないということなのだろうか。それが仮に効果が高いのだとしても、単に数秒の間の話である。出入口の幅が狭すぎて、効率的に人を流す必要があるのであれば片側交互通行を要請して人と人がぶつからないようにしたらいい。ただし、出入口が2か所あって、片方を入口専用、遠くに離れたもう一方を出口専用とするのは意味がなさそうだ。なぜなら、入口専用と知らずに出ようとして戸惑ったり、ルールを破って突破したり、黙って出口専用まで向かったりする人が現れるが、それらの人は、密集する入口付近で滞留してしまう。こんな意味のない施策はやめるべきだ。
 喫煙所の封鎖は、非喫煙者とリスクを共有しようとする愚策である。喫煙所がなくなったらといって、喫煙者がたばこをやめるはずがない。コロナが体内に入っても8割以上は無症状だという。一方、ニコチンは依存を起こす。コロナよりも喫煙の方がはるかに健康リスクは高いと思われる。ただし、コロナの方が風評リスクと業務停止リスクが高く、ビルや職場の管理者は健康よりも風評を取った形である。
 あっちに行ったらコロナ対策、こっちに行ってもコロナ対策、という世の中。しかも、感染拡大防止に逆行。つらくないか。
 もっとも、駅のホームや、階段、エスカレーターで後ろの人との間を詰めないという慣習は変わっていない。みんなが本当に心の底からソーシャルディスタンスをやりたい、距離がないと感染が怖いとは思っていなさそうである。本当に怖い人はステイホームしているかもしれないので国民全体に統計を取ったわけではないが、みんなポーズでマスクをしているだけなんだろうなと思う。