映像文化の破壊

急速に劣化するテレビ

 自粛が長期化し、テレビが総集編と再放送だらけになってきた。

 生放送はリモート出演や、スタジオ出演者のソーシャルディスタンス、アクリルパネルばかりが目立ち、テレビを見ていてもコロナを思い出して現実に引き戻される。抗議を恐れて、自粛前に収録したものは日付を表示するのが流行っているから、以前は良かったよねと思い出してしまう。生放送の話題もコロナだらけなのでちっとも楽しめない。このような自主規制は昭和天皇崩御まで遡る。震災の時は「がんばろう神戸」に代表されるようにエンターテイメント業界が盛り上げようとしていた。

 2020年5月のホリエモンロケットの打ち上げは、明るい話題を映像を通して提供する機会だったのに地元自治体の圧力を受けて自粛となってしまった。そういえば、報道は政府や自治体の会見室しか取材していない。

 家庭用ハードディスクレコーダーは記憶容量が増えている。自粛前の番組の方が楽しめるので、連休は録りだめしたものを見るだろうが、それが尽きたらテレビの電源はつけなくなるかもしれない。

自粛が終わらないとドラマの収録ができないので、ただちに再開されることはないだろう。

 またひとつテレビ時代の終わりが近づいたなと思わざるを得ない。

動画配信も飽きる

 さまざまな動画配信サービスが会員数を増やしているが、利益の先食いになっただけではなかろうか。

 日本の新作映画は製作委員会方式で作られ、テレビと映画業界が共同出資している。まず映画館で上映するという大人の事情を変更できないため公開が延期されている。人生の時間は有限なのだから、テレビや動画配信サービスで先行すればいいのにと思うが仕方がない。

 見られる映画は旧作ばかり。旧作好きはいいと思うが、そもそも若い世代は長い時間拘束される娯楽を繰り返すような思考回路になっていない。

 中高年以上には信じられないかもしれないが、映画でさえ、1.5倍速や早送りで大量浪費されている。見放題選び放題の契約が当たり前で、レンタルビデオ屋でどちらを借りようかと時間をかけて迷ったり、レンタル済みの札を見てがっかりしたりした世代には想像すらつかない贅沢が日本中で繰り広げられている。

 せっかく映画館のために新作を出し惜しみしているのに、早送りできない映画はまどろっこしくて見てもらえないかもしれない。

 短い時間で大量の映像を浴び続けるようになるが、頭のキャパシティや目の耐久性には限度があるので、すぐ疲れてしまう。

 もうそろそろ、映像を見ること自体に飽きる人か出始めると思われる。どんなコンテンツを持ってきても無駄。ゲームや音楽は中毒性があるので別だが、テレビや映画は見捨てられると思う。何を見ても同じに見えてしまうから。

しゃべりだけでは難しい

 今のテレビ番組制作には人の集め方に制約がある。リモート出演は、リモート会議と同じ仕組みを使っているので発言をかぶせにくい。どうしてもひとりずつの発言になり、ニュースの現地報告のようにぎこちなくなる。

 テレビが自粛要請の主力部隊となっているので、出演者にも自宅の居間にいる風を求められている。ピン芸人のコントをやってもらってもいいと思うが、動きのある出演は自粛のようだ。Vチューバーのように、アニメや人形を出演させることもできるだろうに、あまり見かけない。

 テレビの生放送でひとり話し続けられるのは今やさだまさしさんくらいしかいない。あの人なら、はがきやギターがなくてもたぶんずっと喋り続ける。ラジオのパーソナリティー以上にしゃべってくれる。しかし、毎日さださんを出すわけにもいかない。

 これでは恐慌の中で広告を集められない。

 

 自粛解除まで、人をひきつけられるだろうか。