帰省

 福島第一原子力発電所の事故のときに、放射能汚染を恐れて首都圏を脱出した人が相次いだとされる。「メルトダウンはありえない」「ただちに健康に影響はない」とした政府説明の信頼が揺らいだことにも責任があるが、のちに過度に放射能リスクに過敏な思考回路を持った人は「放射脳」などと揶揄されていくことになる。

 しかし、このときに帰省した人の中には、首都圏で被災した人も含まれていた。例えば液状化でガス管や水道管が破壊された街に住んでいた人たち。しばらくお風呂に入れない、高層に住んでいるので階段で給水車の水を運ばなければならない、乳児のミルクが作れないといった人たちは自宅を出るしかなかったのである。

 乳児を抱えて帰省する人を見て、避難者とみるか、赤ちゃんの負担も考えずに過剰防衛に走る者とみるかは、どこまで想像力があるかどうかで変わってくる。

 わたしは福島の時も、そして今回のロックダウンの噂に対しても疎開の可能性を論じた。ただし、今回については3月24日初出で、緊急事態宣言が出た今になって思うともう少し早く検討すべきだったと考えている。

 2020年4月になって、ネットでは帰省に対する批判が強まってきた。ロックダウンができないのは大規模自主避難の発生リスクを恐れたものだという考えが有力になり、政府首脳の発言からもそれを示唆するものがあった。

 福島のとき、帰省先に持ち込むのは放射「脳」だけだが、COVID-19の場合は体がウィルスに汚染されている可能性がある。後者は可能性であるが、感染するのも後者だけなので、地方は医療崩壊を持ち込むとして帰省者を歓迎しない。

 東京都の小池知事が毎晩テレビに出るようになった当初、石川県の知事は歓迎すると言っていたので、その頃までに疎開をすべきだった。今やったら危ない。キャリーバッグを持って電車に乗るだけで冷たい視線を浴びるかもしれない。

 ただし、よく読むと社会全体として帰省自粛を訴える者も、個人の事情で帰省するのはやむを得ないとしている。肺炎で亡くなったら葬儀会社の安全対策のため、葬儀でも会えない可能性があるそうなので、故郷の親族に急変があったら帰る必要がある。

 また、今回の場合、失業して、残ったお金でなんとか運賃を払い、やむなく帰省する人だって少なくないだろう。帰省するなと言うなら、その人たちにホームレスになれと言っていることと同じである。

 妊婦を見かけたら、ストレスの多い都会の引きこもりを避けて、里帰り出産の移動を早めたという仮説も成り立つ。現在、新幹線や航空便はがらがらで、時間帯を選べば山手線でも空席が見つかる。電車での感染よりも、終わりの見えない闘いと累積するストレスのコントロールの方が大変だ。

 首都圏被災者のことを思い出すと、行政からの要請を無視して社会混乱を避けるために脱出する者だけとは限らないということがわかる。

 どうか、事情を知らない状態で、帰省する個人を批判するのはやめてほしい。身勝手な行動をとる者もいるだろうが、その人々なりに命を守る行動なのかもしれない。