不適切動画

総合電機メーカーの大規模な粉飾が発覚した際、報道機関はしばらく不適切会計、不適切会計と言い続けた。自らが違法と断罪したくはないが、道義上の責任はあるだろうという雰囲気を出しつつ、最終的には読者に判断を委ねている。潔くない言葉である。あの会計を粉飾と呼ばないなら、何が粉飾になるのだろうと思えるほど、婉曲の極みであった。
そして2019年は不適切動画だ。ところが、適切ではないという動画とは、もともと倫理に反するものというくくりでは様々なものが想像できてしまう。不適切動画というよりは、

バイトテロ

の方がよく考えられている。アルバイト従業員が関与していること、外部への影響力があることを5文字で簡潔に表現している。
各地で頻発しているという論評に対し、SNS利用の全人口の比率からすれば、発生数は少ないという冷静な議論がされている。ただし、少ないからといって、自分の行動を記録として保存することに対する想像力の足りなさはとても気になる。

人前で見せたら、もうおしまい

バイトテロ映像を公開してしまう人にはSNSリテラシーが足りないというが、SNS以前に、世の中の人のほとんどの人が身近にテキスト音声動画を記録できるデバイスを持ち歩いているということ、そして、それがGAFAに制御されているということを忘れてはならない。デジタルを排除しようとして、スマートフォンの代わりにインスタントカメラで撮影したとしても、その現像写真を渡したり落としたり捨てたりした瞬間から誰かがスマートフォンでインターネットに拡散してしまうことをリスクだと思わなければならない。そしてインターネットに一度乗ってしまったら取り消すことはできないのである。
さらには、監視カメラは至るところにある。すべての画像や映像は改ざん可能であり、悪さを少し誇張することくらい簡単である。基本的に、いたずらをしたいなら誰かに見つからないよう、相当気を付けなければ一生を台無しにするおそれがある。そういう社会に我々は生きている。
店で食べる食事が少し清潔になるのはいいけれど、今後は法的措置も辞さなくなるということだから、ますます失敗が許されない社会になっていく。悲しいけれど、これは避けられないことだから教育でしっかり教えていかなければならない。「SNSにいたずらを投稿しないようにしましょう」という短絡的な教え方はほぼ誤りである。
映像や画像でなければいいということではない。日常の行動があれこれ捕捉されて採点されるようになる。文書も全部チェックされるだろうし、映像の中の発言もテキスト変換されて文書として分析される。
今だけでなく、過去も掘り返されてしまう。今のところは運動会や遊戯会の写真、卒業アルバム、卒業文集くらいに限られるが、デジタルネイティブの世代は友達のSNSが掘り返されてニュースで流されたりもするだろう。
情報を暴露することの威力が明らかになった今、これを悪用したりいたずらしたりする人が現れるかもしれない。少し不安になった。