騒音に無頓着

昨年あたりから東京地下鉄が発車サイン音を音楽に変えている。これまでの発車ブザーは長年聞き慣れていることから、乗っているときには気にならないが、音楽になったので駅ごとに気になってしょうがない。寝ていても読書をしていても各駅で肩をたたかれて呼ばれているような気分になる。果たして、新しい音もそのうち聞き流せるようになるだろうか。
JR東日本の発車メロディは注意を促すような、少し心拍が上がるような感じの音色であるが、東京地下鉄の場合はシンセサイザーの高音階を多用してさわやかな感じに仕上がっている。心地よさげな、そして気になって聞いてしまうような音色に仕上がっている。

 しかし実際は全く心地よくない。

音量が大きすぎやしないか。
発車サイン音はドアの前にいる人だけに聞こえればいいのである。車内ではドアのそばからピンコーン、ピンコーンと音がする。東武などの新車はドアが開いていることを示すポーン、ポーンという音も鳴っている。目の不自由な人のみスマートフォンで受信できるようにしたらいいんじゃないかと思うが、寝過ごしそうなときは気づかないのに起きているときにはやかましい音がずっと出続けている。よって車内にサイン音を流す必要はない。車内の音だけでは発車に気づかない客がいるともし考えているのであれば、その音は役立っていないのでやめるべきである。次に、改札や階段付近の人については、鉄道会社は駆け込み乗車をしないよう絶えずお願いしているので、その人に向けてサイン音を流す必要はないし、むしろ聞こえないようにすべきである。指向性のスピーカーはいくらでもあると思うので、なんとかならないだろうか。
かつて営団地下鉄では、車載のスピーカーからフォーンという音を出していた。01系で試験し、その後いくつかの系統で搭載されたが、今では発車サイン音を推進している。車載スピーカーは、ブザーを車載するので車掌が素早く操作できて停車時間短縮が期待されたが、南北線に導入されたホームドアではホームドアを操作しなければならないので車載スピーカーは関係なくなってしまった。

なぜ当駅止まり

JR京葉線の東京駅。終点なのでほとんどの電車は当駅止まりなのに、「まもなく、○番線に、当駅止まりの、電車が、まいります」というアナウンスは本当に必要なのだろうか。東京駅まで回送された電車が到着した場合は何も放送されないので、進行方向とは逆から進入することを伝えたいということではないみたいである。当駅止まりの電車であることを告げる理由が形骸化している。流しても害はないと思っているのかもしれないが、余計なアナウンスは公害だという認識はないのだろうか。そういえば、東京圏の地下駅で発車メロディーを導入したのは京葉線東京駅がさきがけだと思う。東京地下鉄の騒音レベルは京葉線東京駅が基準なのだろうか。
当駅止まりに話を戻すと、津田沼駅南浦和駅などでも、「まもなく、○番線に、当駅止まりの、電車が、まいります。この電車は、折り返し、○○行きと、なります」とやっているが、お客様応対を日常的に行う係員を多く抱えるJRにおいて、「大事なことは最初に話すべき」ということを研修で教えていないのだろうか。当駅止まりとか、どうでもいいだろう。
路線によっては編成の長さやグリーン車の乗車位置までガイドするので、放送時間が意外と長い。実は「まもなく」と言っておきながら、まもなくな感じがしない。騒音を垂れ流しておきながら、列車進入直前の注意喚起放送を省略しているに等しい。
そして極めつけは一日を通して誰も待っていない銀座線渋谷駅の降車専用ホームである。

1番線にまいります電車は当駅止まりです

という案内を流しているが、あれは何のために行っているのだろうか。繰り返すが、意味のないアナウンスは公害である。そして電気の無駄遣いである。いくら東京地下鉄省エネルギーを宣伝しても、渋谷駅1番線の到着前自動放送を廃止しない限り、わたしは偽善だと判断する。有楽町線新木場駅の到着ホームも同様である。有楽町線はホームドアもついているのだから、放送なしで全く問題ないと思う。急に電車が進入してきて驚く人がいることを心配するのであれば、進入口のあたりだけ、電車がきますと流しておけば十分である。大音量の放送でびっくりする人をまず減らしてほしい。
車庫に行く乗客がひとりふたりいるところで自己責任である。どうしても誰も乗り込ませたくないとしても、その対策を自動放送に任せておくのはおかしい。センサーで確認して、車掌の手元で警告灯を光らせればいいのではないか。

減便の前に止めることはたくさんあるのではないか

地方で減便したり、お得なきっぷの発売を止めたりするのは合理化として仕方がないが、今行っているサービスを整理して、いらないものはやめてからにしたらどうかと思う。